日本のイメージ

 テレビなどで「どこそこの国ではこうだ」と他国が引き合いに出され
ることがある。
 日本の少子化が話題になると、フランスでは国策が功を奏して少子化
に歯止めがかかった、と語られる。しかし、それで話は終わるから、見
た人聞いた人は、出産数を引き上げているのは主に低所得者層の白人以
外かもしれない、と一歩突っ込んで考えるには至らない。
 このからくりに気づいてから、私は、他国ではこうだ、と鬼の首を取
ったみたいに言われる時は意図して懐疑するようになった。
 もっとも、他国の事例を出すのはニホンの専売特許ではない。
 フランスのテレビ・ニュースの中で、ほかにもこういう国が、と名前
を列挙する際、もしニホンも対象に含まれるなら絶対ニホンは外さない
から、かくも興味を持たれている日出ずる国なのだなあ、と思わされる。
 時間を割いてニホンの現状が紹介されることもある。
 先日は、働く女性が安心して子供を産めない国、という要約になる内
容だった。
 妊娠したと上司に告げると退職を勧められたという非正規の女性や、
仕事のために中絶を余儀なくされたという女性。
 別の日は、お金を払って友達知人の振りをしてもらうシステムが紹介
された。
 取材に応じたサラリーマンの中年男性は、若い女の子二人を引き連れ、
カラオケで熱唱中。妻は付き合ってくれないし、一人で歌うのは寂しい
からと。
 これらをニホンのテレビで見たのであれば、ああ、知ってる、あるい
は、へえ今はそうなんだ、という感想で済むが、その同じ内容を異国の
テレビ・ニュースで見せられると、事実を忠実に報道しているだけなの
に、複雑な気分になる。
 なんで、わざわざそこに着目してしまったんですか、と言いたいし、
それはニホンの文化の一部に過ぎないですからね、と念を押しておきた
くなる。
 けど、文化・・・?
 ならば、堂々と胸を張っていればいいのではないか。何を羞恥に感じ
る必要があろう。
 考えてみると、ニホンでは、私達の視点からは奇異に見える異国の文
化がニュースで特集されることはない。
 あるのは自然災害や銃乱射のニュースのみ。
 ニホンで起こったとしても、違和感はない。
 あくまで「事件」であり、「文化の違い」ではないからだ。
 しかし、文化基盤の差に迂闊だと、どの国の人もニホン人と同じ感覚
感性だ、という幻想に立つことになり、理解できない現象を見た時、そ
の判断が大きく狂うことになるんだろうな、と思う。