コロナ。お気楽テレビ

 フランスの友人知人達からのメールは、コロナウイルスの話。
 来月出産する友は、夫が立ち会えなくなると嘆いていた。
 別の友は、癌で入院中の親を見舞いに行けない辛さに直面していたが、
親がホスピスに移されて、次なる苦悶は、ほどなく来るであろう葬儀の際、
参列者の数が厳しく制限されることだと言う。
 フランスのテレビは、連日、コロナウイルスの報道。
 日本も同じ。
 けど、なんか違う。
 フランスは、医療現場の映像や医者の言葉が多い。外出禁止令を破って
罰金を課されて悪態をつく人も映されるが、深刻さを伝えるのがニュース
の基本姿勢。
 対する日本は、なんかお気楽。
 なんか、ひとごと。
 志村けんが感染して重篤らしいと聞いて、沸き起こった行動は「頑張れ
エール」ですと。
 もしや芸能界にウイルスが蔓延しているのでは、と不安になるのが筋だ
ろうに。
 あくまで自分は無関係、という脳天気さ。
 そう、そこなのだ。私が感じる違和感は。
 海外のニュース番組は、司会者が一人。
 必要とあれば、解説する専門家が登場する。が、そういう時でも、司会
者との間隔はかなりあり、画面に入りきらないから、画面を二分割してそ
れぞれを大写しにする。
 日本は、情報番組であり、お固いニュース番組ではないということなの
か、金魚の糞みたいに出演者がごろごろ。司会者から話を振られて彼らが
述べるのは、井戸端会議のレベル。
 専門的な話を噛み砕いて報道するのが目的だとしても、お笑い、俳優、
そういう分野の人達がのさばっている意味がわからなかった。
 より多くの人を雇ってあげたい優しさなのか。
 人の数が多い方ほど民主主義的だと感じる国民性が背景にあるのか。
 しかし、コロナなのだ。
 彼らは、画面を通じて、濃厚接触者が人にウイルスを移すと視聴者に警
告。
 よって、今回ばかりは出演者が激減すると期待した。
 ところが、コロナ前と変わらず、肩が接する至近距離で並ぶ面々。
 NHKも、立って報道する番組ではアナウンサーは並んで立っている。
「な~んだ、普段どおりでいいんだ。マスクもいらないぐらいなんだ」
 というメッセージをせっせせっせと振りまいている。
 鈍感すぎるぜ、テレビ局。
 だが、ジャニー喜多川の死の翌日、出演者に、喪服を連想させる服を着
させる配慮ができたぐらいなのだ。
 映像が命のテレビゆえ、真のメッセージは映像。
 そこが変わった時、初めて、コロナの深刻さが視聴者に伝わる。