コロナ疲れ

 トイレットペーパーの買い占め騒動が一段落した頃、「コロナ疲れ」と
いう言葉を聞き、
「はあ」
 と思った。
 私はフランスのニュースでヨーロッパの事態の深刻さを見ているせいか、
今から疲れていて大丈夫なのか、と思ったのだ。
 春分の日の少し前、友が、東京に住む娘が同級生と遊びに来て泊まって
いくと言っている、と語った。
 私は再び、
「はあ」
 一緒に住んでいる高齢のお母さんに感染させるリスクは、どうする。
 が、
「娘は、いくら言っても聞かへんねん」
「それやったら、来ても、鍵を開けへんって言ったらいいやん」
 私は素っ気ない。
 要は、彼女は娘が来てくれるのが待ち遠しいのだろう。
 この友と娘が異端でないことは、その頃のテレビを見れば、わかった。
若者は普通に外を出歩いていた。
 自分には無関係という楽観は、人に移しても自分は死なないと思えるか
らか。ウイルス情報をよく知らないせいか。
 なんにせよ、それが日本の現実だったので、こうなんだ、とフランスの
友人達へのメールに書いた。
 フランスでマスクが二千枚盗まれたようだが、日本では六千枚、しかも
病院内で、ということも。
 すると、
「まさか日本人が!」
 と驚きの反応。
 私はげんなり。
 行儀が良い、礼儀正しい日本人。まだそう信じているの。
 けど、私もフランスに憧れていたからなあ。
 論理的なフランス語を編み出した人達は、思考も論理的で理知的だと想
像し、そういう社会の方が成熟していると思ったのだ。
 だから、フランスの友が日本に幻想を抱く気持ちはわかる。
 ここではないどこか。
 ここより素敵な国。
 悪いことではない。
 憧れはエネルギー。
 エネルギーに突き動かされてこそ、未来が開かれる。
 そして、住めば真実を発見できる。
 失望しても、違う幸せが見つかるだろうし。
 要は、みな人間。どこの国でも大差ない、ということだ。
 国籍も性別も年齢も関係なく、その人次第、なのだ。
 新型コロナウイルスの死亡者数がまだ日本の方が多かった頃、東京出張
に来て、これから帰るというフランス人が空港から電話をかけてきて、こ
れで高齢者が一掃されるというような誰かの意見を拝借して口にした。
「あなたの九十歳過ぎのおじいさんもそうなってほしいのね」
「いや、それは・・・」
 こういうフランス人もいるのだ。
 ところで、今、日本でも感染者が急増し始めたが、ずっと警戒し続けて
きたからか、私は、ここに来て「コロナ疲れ」っぽい。