そうさせる日本語

 きのう、テレビを付けたら、徳島県の山奥に住む、両親と五人の子供の
七人家族の自給自足生活を放送していて、最後まで見入ってしまった。
 家で作っている野菜をパスタの具材にするために、四歳の男の子が大き
な包丁で全部切る。炒める。
 狩猟免許を持つ夫が仕留めてきた鹿は、乳飲み子以外の小学生三人とそ
の四歳児が普通にさばく。
 その肉を細かくしたのを、豚だったか、の腸に詰めたら、ソーセージ。
 魚は、夫が川に素潜りして捕まえてくる。
 養蜂をしているから、蜂蜜もある。
 サイダーが飲みたくなったら、レモングラスの葉を瓶に詰め、蜂蜜と水
を入れて数日待てば、出来上がる。
 酵母菌を増やして作る自家製パン・・・。
 サイダーの作り方は初めて知ったが、それ以外は、ソーセージも蜂蜜も
パンも、本来こう作る、という知識はある。
 知識だけだから、頭でっかち。
 ところが、この家族は、それを日々の普通にしているから、すごい。
 いつまでも見ていたくなったのは、私自身の原点というより、人が「生
きる」ことの原点を見せられている気がしたからだろう。
 もちろん、そういう日常が必須条件であったら、社会も文化も文明もこ
こまで発達はできていない。
 それでも。
 一から作る何かをひとつぐらい自分のものに出来ていれば、落ち込んだ
時などに、淡々とその作業をすることで、気を取り直して前を向く力が湧
いてくるのではないか。
 誰からも奪い取られない生きる能力、自信。
 前回、君付けへの嫌悪を書いた。年齢を盾に自分が上だと相手に知らし
めたい人は、根底に自信のなさを抱えているのではないかと。
 でも、実力の世界に身を置く人は違う。
 実際、将棋のタイトルを取ったような大御所達は、その後、力が落ちて
も、頂点に立つ厳しさを知るからだろう、台頭してきた若手に敬意を払う
姿勢と言動が美しい。
 が、そうでない棋士もいるとわかって、まあ、棋士だって人間だからな
あ、と思うも、残念だった。
 真に実力の世界でもそうなら、そりゃあ、一般社会はもっとひどいはず、
と納得できたからだ。
 人事の決定に、万人が認める透明性はあり得ない。すると、そうして誕
生した女性の上司がいた場合、それを理由に評価できない、という態度に
出る者もいるだろう。会社の中では女と若者は同義語だと思っている者達
の反応も、然り。
 年齢と、男か女かが篩(ふるい)になる。
 そうさせるような日本語、という側面はあるかもしれない。