「〇〇君」と呼ぶ心理

 テレビ番組などで、個人的に気になることがある。
 男同士の呼びかけの中に、
「〇〇君」
 という君付けが存在することだ。
 おかげで、知りたくもないのに、相手の方が発話者より年下なんだ、と
意識させられる。
 高校の同窓会の会場近くで、その後ろ姿はたぶん、と思い、
「~~君」
 と大声で呼んだ。
 果たして、その子は振り返り、私を待ってくれた。
「よくわかったねえ」
 と言ったら、
「今、僕のことを君付けで呼ぶ人間は、そうおらへん」
 そうなのだ。
 君付けは、学生時代、男子に対して使う呼称であった。
 先輩男子に君付けがためらわれる場合は、名前のあとに「先輩」を付け
る。
 でも、社会に出たら、女性からは誰に呼びかける時も「〇〇さん」。
 一方、「君」は、新たな意味を持って男同士のあいだで生き延びること
になる。
 勤めていた企業を離れて久しくなるが、名前のあとに役職名を付けて呼
ぶことが全社的に廃止され、誰に対しても、社長に対してすら「さん」付
けという組織に私はいた。
 私の上司が部下を呼ぶ時は、愛着を込めて呼び捨て。
 そこまで近しくない別の課の若者にはどう呼びかけていたのだろう。
 社外の誰かがいる場面では。
 まあ、間違っても、社外の人間を、ただ自分より若いからと言うだけで、
「〇〇君」
 とは呼ばなかったはず。
 それが平然とまかり通っているのが、テレビ業界。
 ワイドショーの司会者は、もと芸人、もと俳優だったりするけれど、そ
の出自と無関係の世界の働き盛りの人達にまで、
「で、〇〇君は」
 と呼びかける。
 不遜。
 君付けしなくても、日本語には敬語というものがある。
 敬語で話しかけられるだけで、なぜ満足できない。
 君付け使用者は、大抵、言葉と態度に横柄さが滲み出ているから、ああ、
この人は、今の地位や収入がいくら立派でも、どこか不安な気持ちがあっ
て、自分に自信が持てないんだろうなあ、と見える。
 年齢を盾にしないと自分自身を保てない。
 でも、自分と別世界の年下の者まで君付けで呼ぶのは、ほんと、耳障り。
 将棋の藤井聡太七段が棋聖になった翌日、坂上忍は、案の定、言った。
「藤井君」
 すぐに指令が入ったのだろう。
 次からは、
「藤井棋聖
 と言うようになったが、まあ、その言いづらそうなこと。
 だが、将棋界の中でも、棋聖戦で勝利したあとの藤井聡太を、
「藤井君」
 と言い続ける人がいて、驚かされた。
 八月十九日の王位戦のことだ。