未来の日本語

 たとえば、会社の先輩と後輩が一緒に海外旅行に行くぐらい仲良くなっ
たら、これはもう「友達」だろうか。
 でも、後輩が先輩に敬語を使い続けるなら、友達とは言えないか。
 いや、言える・・・?
 テレビで芸人が、
「歳は違うけど同期で」
 とその場にいない芸人仲間について語ると、
「で、いつから、ため口になったんですか」
 ほかの芸人が質問したので、入社時期が同じことより年齢の方が重視さ
れる価値観を知った。
 youtubeで、出演者同士、皆とても仲が良いので、一番歳下が、
「もし自分がため口で喋ったら、皆がどう反応するか」
 を検証する企画を考え、隠しカメラを回したら、ため口で話しかけると
完全無視、だが敬語に戻すと普通に返事する相手がいた。
 もっと上の人間は、会話が盛り上がったさなかにさらっとため口を紛れ
込ませたら、その瞬間、
「おまえ、俺に向かってどんな口の利き方してんねん」
 態度が変わった。
 まあ、そうだろう。
 今までの私なら、そう思ったはず。目の前の相手は誰でもyouで表現す
る単調な言語とは違うのだと胸を張って。
 だが、「君付け」に嫌悪感を感じる理由を探っていたので、心が立ち止
まった。
 言語は、それを使う人々の心を反映する。
 日本人は、相手と自分の関係性に神経過敏であるがゆえに、尊敬語や謙
譲語を発達させてきたのではないか。
 ただ、そのせいで、相手との距離感が正しい落としどころに落ち着くま
では、無駄に神経を使わされる。
 youしかない、あるいはフランス語のようにvousかtuの二者択一なら楽
なのに。
 平凡な人間は、あれもこれもと広範囲に精神を集中させ続けられるもの
ではない。
 言葉選びの第一の拠り所が年齢差になったのは、そういう理由があるの
かも。
 年齢差なら、明白。
 けれども、上だからという理由だけで理不尽に威張り散らされたら、下
はたまったものではない。
 選手に対して絶対神のごとく暴君になる監督、コーチとか。
 まあ、それは特殊な事例だと信じることにして、会話の中で、この相手
には敬語、この相手にはため口、と使い分けるのは、そこに力を奪われて、
肝腎な話の中身は浅薄になる、なんてことにはならないだろうか。
 うーむ。
 縦書きが少数派から過去の遺物へと追いやられつつある流れの中にあっ
ても「日本語愛」の私。
 なのに、その日本語に、生きづらい社会を作っている一端を見てしまっ
たら、どうしたらいい。