小説の未来

 知り合いの高校生女子に英語の質問をされて答えたが、数学のように割り
切れる説明にならなかったので、調べて、次に会った時、曖昧さは残るが仕
方ないと、でも今度は自信を持って説明できた。
 すると、言われた。
「かっけー」
 こういう時に「恰好良い」という言葉で褒められたことがない私は、いい
なあ、と思った。
 いつか、使おう。
 そして、彼女に趣味を聞かれた。
「今度、答えるね」
 というのも、私は単語をぽんぽんと羅列するだけでなく、ちょっとはそこ
から会話にしたいが、それだけの時間はない。
「自分のも教えてよ」
 自分とは、あなた、という意味で使う口語である。
「はい」
 とりあえず、なぜそんなことが知りたいのか、ということだけは聞いた。
 すると、
「興味がある」
 世代が違う相手から興味を持たれたとは、素直に嬉しい。
 私は、趣味と言えば、まず読書を思いつく。
 特に小説。だが、書評で読みたい気持ちを掻き立てられて、図書館で予約
し、その本が手に入っても、最後まで読まずに返すことが増えた。文章に芸
の香りがなく、冗漫で、でも散文とも言われるのだからそれでいいのだと自
分自身に言い聞かせると、その冗漫な文章で綴られる内容が心に響かない。
 書評で内容を想像させられている時が一番わくわくした、という結果にな
るのは寂しい。
 AIに書かせた小説『やめろメロス』『それはやめろよ、人類!』を読ん
吹き出した。
 あまりに荒唐無稽。
 でも、だから笑わされた。
 整合性があるか、辻褄が合っているか。
 論文などではそれは必須の条件だが、作り話は、そういう足枷から自由に
なっても許される。なのに、書き手はその同じ物差しを当てはめようとする
し、読み手も、筋が通っていないと眉を顰める。
 そのせいで面白い話が生まれないのかも、という可能性に気づかせてくれ
たこのAI小説。
 小説と言うには短すぎるので、尾ひれはひれを付ければ論理性もある読み
物として仕立てられる気はする。AI小説には漫画の原作者の役目を担わせ
るのだ。
 現代将棋はAIの影響を受けて激変したという。
 AIソフトは何十億、何百億単位の計算をして評価を出し、指し手を示す。
 ならば、人間は何のために将棋を指すのか。
 AI同士では表われない将棋を人間は指せるのか。
 そんなことを羽生善治は語っているが、確かに、過去のデータの蓄積のみ
が新たな想像を産むのなら、人はいらないことになる。