スヌーズ機能

 爽やかな朝、風を入れようと窓を開ける。すると、五時半過ぎから六
時過ぎまで延々、間欠的に目覚ましの電子音が響いてくる。電子音とい
うのは人工的な音だからか、神経が苛つく。一旦止まっても、またすぐ
始まるんだ、と身構えさせられ、案の定その通りになって、嘆息(たん
そく)。
 だけど、何で私がこんな目に遭わなければならないんだ。持ち主をと
っつかまえて……とっつかまえて、どうしたいんだろ。言葉の綾でいく
と、殺してやりたくなる、って気分かな。
 ようやくおさまったと思ったら、七時を回ると、またご同様の一軒。
 一体、どこの家なんだ。
 緑豊かな中庭を取り囲むようにして立つマンションの中庭側に私の部
屋があり、ラジオの電波は届かないのに、こういう音だけ反響して届く
のが悲しい。
 でも、迷惑しているのは私だけではないはず。文句を言う人はいない
のかなあ。
 もし、どこの家かを特定できた場合のことを私は想像してみた。果た
して直(じか)談判に行くだろうか。朝の目覚まし時計が何が悪い、と
言われたら、反論できず、ご近所さんと気まずい関係になるだけに終わ
ると考え、我慢して、悶々と苛立ちを抱えることになるのではないか。 
 パリのアパルトマンに住んでいた時、台所の窓を開けて香辛料入りの
美味しいソーセージを炒めていたら、「匂いが臭い!」と上階の誰かか
ら叫ばれた。友達を招き、普通の声で喋っていたら、壁が薄いせいか、
隣人から壁を激しく叩いて抗議された。
 迷惑に思う人が、そうと気づいていない本人に告げることで、あるべ
き良識を認識し合う。日本人にはなかなか馴染めない感覚である。
 日本人は、口に出して言われると感情的にこじれるので、そうなる前
に察する能力を高める方向を目指したのだろうか。
 だが、ここに来て、それがうまく機能しなくなっている気はする。縦
割り長屋と言われても、隣人同士の気配りという長屋の長所はすっぽり
抜け落ち、自分の家なんだから、子供が小さいんだから、昼間働いてい
るんだから、歳をとって耳が遠くなったんだから、と自分の理屈を優先
する。
 そう言えば、人間関係の希薄さが地方にまで広がっているという記事
が出ていたっけ。
 きのうパソコンがトラブり、これは早晩の買い換えか、という事態に
見舞われ、その復旧の続きをしていたさなかだったので、今朝は、つい、
カリカリしてしまった。