面従腹背(めんじゅうふくはい)

 先日、テレビで三十四年前の洋画を観た。
『いまを生きる』
 事前に知っていたが、この邦題からは心がひそとも動かず、見る気はなか
ったが、たまたまテレビを付けたらやっている。
 全寮制の男子校。
 外壁は煉瓦で、中庭の柱廊はアーチ型・・・。
 明らかにイギリス。
 出てくる人達も白人のみ。
 今どき珍しいので、つい最後まで観てしまった。
 イギリスの話をアメリカの俳優が演じていると思っていたが、アメリカが
舞台のアメリカ映画だった。
 ピューリタンの末裔は、訣別したイギリスの文化の再現度が高いほどアメ
リカの上流階級、と考えていたのだろうか。
 さて、ロビン・ウィリアムズ演じる国語教師が、中庭を学生数名に歩かせ
た。
 取り囲んで見ているクラスメイトの中から自然に手拍子が始まる。
 歩いている者達の歩調が揃う。
 と、教師が、手拍子は個人の自由を削ぐ行為だと指摘する。一人一人自由
だった歩調が統一させられてしまったと。
 心に自由はあるか。
 あっても、ちゃんと育てているか。
 放っておいたら、人はたやすく右に倣えしてしまう。
 枠が与えられるのは不自由なはずだが、その方が楽だと感じてしまう。
 自問することをやめてしまう。
 学生達は徐々に自分の気持ちを見つめ、考えるようになった。
 しかし、お前は将来医者になるのだと強要する父親を説得して芝居の道に
進むのは不可能だと絶望した一人が自殺すると、校長は、その教師に焚きつ
けられたのが原因だという調査報告書を準備。
 退学を恐れてサインする学生。
 教師は退職に追いやられた。
 もし学生達が心に正直に学校と対峙し勝利する話に向かっていたら、一気
に興を削がれただろう。
 そういう結末になかったからこそ、より深く考えさせられた。
 統一教会の元信者、飯星景子は、教団からすべての判断基準を与えられる
のが楽で気持ちよかった、と語った。
 考える自由を放棄する幸せ。
 だが、自分自身に関わりあることについては他者に自由を明け渡すな。
 昔は弱者を救う良き規則だったとしても、今の時代にはそぐわなくなって
いるかもしれない。
 伝統も、本質不問でただ踏襲しているだけだと、因習になる。
 今を生きる自分がちゃんと考える。
 大阪の清風高校の学生が教師の刈り上げ指導が行きすぎていると人権救済
を申し立て、弁護士会が学校に是正勧告を提出。
 心は外見から、という校則だな。
 でも、外見だけ立派な者もいる。
 心は縛れない。