神奈川県立神田高校の入試の一件が公になった時、入学させてもらい
たい立場としては、好感をもたれる外見を心がけて当然じゃない、と私
はまず思った。十五歳なら自分でそう判断できるはず、と。
その根拠は、私が英語の家庭教師をしている女の子。
今年の春、英検三級を受けて合格したが、二次試験の面接にattitude
(態度)という評価項目もあると知り、試験前に伝えると、「何を着て
いったらいい」。
「ミニスカートで、足組んで悩殺したら」。
attitudeは英語の受け答えの態度を示すのであって、服装ではない
とわかっていて、そそのかしてみたが、その子自ら「制服」と良識的な
判断ができたため、彼女と同じ中三ということで、神田高校の入試に不
埒な外見で挑んだ者達に厳しい眼差しとなった次第。
ただ、外見チェックが、願書受付けや入試会場、合格発表の場でなさ
れたのは可哀想だった気もする。
正式な面接ではないのだし、試験に合格しさえすればいいんでしょ。
学力がすべて----学校教育は、結局のところ、それを唯一の金科玉条
としているように感じられるからだ。
それでも、高校は義務教育でないから、入試現場に社会の常識が入り
込んで当然。いや、県立は、やっぱり、学業の場としての理想を遵守す
べき・・・。
考えが揺れる。
が、校長が処分されたことで、社会的には、教育現場では成績がすべ
て、という理想が再確認されたことになるだろう。学生のあいだはその
建前で学生達が護られる、ということだ。
実際、不合格になった受験生達は、学力がすべて、という建前を、本
当にそうなんだよねと、からだを張って試しにかかったようにも感じら
れる。
幼すぎる。
そこが辛い。
そんな建前は通用しないと、いずれ社会から思い知らされる日は来る
だろうに。
それでも学校は、社会人となる基礎はまるで教えない、というのでい
いのか。
今回の件で言うなら、受験生を送り出す中学側が、服装、身だしなみ
に注意を与えて然るべきだったのではないか、ということだ。
建前を尊重しすぎて、言葉を呑み込んだ?
不合格になってもならなくても、そういう教育を受けて、高校を出る
と、十八歳。
もし、途端に〃成人〃と見なされることになったりしたら、おっかな
くて困るのは、本人達より社会の方ではないか。
まあ、彼らの理想主義のおかげで、汚職や不正に著しく不寛容な社会
が実現するとしたら、案外、悪くないかもしれないけれど。