朝の光は、すごい。
もし夜に終わりが来ないなら、静かで澄んだ大気がますます濃密に大
地を満たすだろう、と思い、それもいいかもしれない、と想像したとし
ても、太陽が昇るや否や、そんな想像も、夜のかそけさも、またたく間
に蹴散らされ、ぐいぐい、力強い朝の光が大気を塗り替えてゆく。その
力は、目覚めたばかりの私達にももたらされる。
さあ、一日が始まるよ。
なんだって実現可能な一日の始まりだよ。
朝の光は、喜び。
愛。
友達。
ところが、「まっさらな朝」と言うだけで無条件でうきうきする私が、
全力で輝く太陽を、押しつけがましい、うっとうしい、と感じてしまっ
た。
心が元気でないと、朝が喜びにはならないみたい。
どうしましょ・・・。
私は、諦めました。
一体どうしたのサ私、とか、元気にならなくちゃ、とは考えず、のら
りくらりしてばかりで何もはかどらなくても、それで善し。
ただし、今できるささやかな一つだけは完了させること。
やり終えるまでに不思議なぐらい時間がかかってもかまわない。
とにかく、まず一つ、やり遂げる。
たとえて言うなら、必要とあれば、赤ちゃんがハイハイする時点まで
後退することを自分自身に赦して、そこから、つかまり立ちする、よち
よち歩く・・・という行程をやり直すのだ。
どこかの時点で大きく加速して、心から元気が逃げ出す直前の自分自
身に一足飛びに戻れるかもしれないし、ゆるやかにそうなるのかもしれ
ない。
大切なのは、「これはできた!」という小さい事実で、自信を積み重
ねること。
「失敗は成功のもと」と言うけれど、本当は「成功は大成功のもと」な
のだと言う人の言葉に接した時、どちらも正しいと思ったのは、大きな
視点で見ると、どちらも同じ事を言っていることになるからだが、「失
敗は成功のもと」は、成功するまで絶対に諦めない、と熱く高揚した精
神状態の時にはとても勇気づけられるものの、仮に心が弱っていたら、
「一度や二度の失敗ぐらいでへこたれてどうする」と檄を飛ばされてい
るように聞こえて、一層自己嫌悪に陥る、ことにもなりかねない。
その点、「成功は大成功のもと」は、小さいことでいいから、やり遂
げて、その成功に自信をつけて、それを積み重ねていってごらん、と言
っているわけだから、弱った心にも十分受け止められる励ましになる。
で、それを選んだら、今日。
再び、〃朝が嬉しい朝〃が私に戻ってきてくれた。