「定額給付金」と「脳死」の共通問題

 みんな、定額給付金の申請はもう済ませたのかなあ。
 申請書が予想以上の速さで役所に届き、作業が大変だが、添付書類の
不備が多くて、一層手間を取られている、と新聞が報じていた。
 定額給付金は、読者からの投稿欄にも登場。
 店のコピー機の前に、普段は見かけぬ高齢者が列をなし、何事かと思
えば添付書類のコピー取りで、ほほえましい。あるいは、定額給付金
入っても、妻に渡さないし、働いているのに家にお金を入れない娘にも
渡さない、と夫に言われたという主婦からの投稿。主婦は、なぜ世帯主
への一括給付なんでしょう、と気弱に疑問を投げかけていた。
 この世は、生きやすかったり、生きづらかったり。
 今は生きやすい波、今はちょっと生きづらい、というように、波が打
ち寄せる繰り返しで人生はできている。幸せ同様、考え方一つという側
面もあるので、一生生きやすい人もいそうだけど。
 ただ、大の大人が誰かに依存させられる公的システムは、人間関係が
良好なあいだはよくても、ぎくしゃくしたり、関係自体が消滅した途端、
片方だけが著しく不利益を蒙って、心の持ちようでは解決できない生き
づらさに見舞われるとしたら、そういうリスクはかまわないの、と思っ
ていたら、やっぱり困る、とこの主婦は明かしてくれた。
 人は、感情の動物。
 今こう思っていても、あとで考え方が変わることもあるし、虫の居所
が悪くて、まるで人が変わったような言動をとってしまうこともある。
 社会システム上、優位に位置づけられた者のさじ加減一つで、従属す
る者の扱われ方が変わることは十分あり得るわけだ。
 まあ、本当に不都合なら、当事者達が考えるだろうと、どこか「対岸
の火」なのは、私が未婚だから。
 しかし、人の心はいい加減、と知るがゆえ、家族の同意があれば脳死
を人の死と見なすことにしようとする臓器移植法改正の動きには、抵抗
がある。
 仮に私が脳死状態となる直前、家族との関係が良好でなくなっていた
ら、家族は、魔が差したように、私の脳死臓器提供に同意しないとも限
らない。いくら私が心臓死を希望する意思表明をしていたところで、脳
死に際して、その意志が尊重される保証はあるのか。
「死人に口なし」どころか、「死ぬ前から口なし」にされるかもってこ
と。だって、今の医学では、肉体が完全に死んだら、臓器移植は不可能。
 そこがねえ。
 なんか、とってもヤァ〜な感じなの。