日記

 年が明けたので、今年用の日記帳を準備した。
 パソコン内にWordで作っている日記帳ゆえ、一日あたりのページ数
も文字数も無制限。その自由さが好き。
 特に書くことがない日は「月日」と「曜日」と「その日の天気」のみ。
 外出した時は、何時頃から何時頃まで、なんの目的で出かけたかを書
き記す。備忘録に当たるであろう。
 一方、旅行に行ったり、誰かと話した内容が強く心に残った時は、い
よいよ心置きなく書くことになるが、実は・・・問題がある。
 過ぎ去った時を時系列に思い起こし、その時行った場所、思ったこと
をない交ぜに書いてゆく。
 すると、どうなるか。
 書くのに猛烈に時間が取られる。
 私は、キーボードを見なくても早打ちできるブラインドタッチを習得
しているので、話すように打てる。それでも時間を取られると感じるの
だから、一度書き始めたら、どれほど微に入り細に入り書く私か、とい
うことになりそうだが、そういうことが続くうち、最後まで書き終わら
ずに止めてしまうようになった。
 なんでかなあ。
 考え抜いて、ようやく一つの理解に辿り着いた。
 過去を書き留める私は、過去の追体験をしているようなものだったの
ではないか。
 過去とまったく同じ時間の長さを生き直すとは言わないし、すべてを
書き留められるわけもない。
 でも、書くのに時間を取られているあいだじゅう、私は「今この時」
を真に生きることをすっぽかしている。
 それでいいのか。
 たぶん、そこで目が覚めたのだと思う。
 過去に目を向けているあいだに、今が過ぎ去ってしまう。
 しかも、それだけ労力を傾けた文章を、私は一度も読み返したことが
ない。
 ならば、時間を割くのもほどほどにするがよろしかろう。
 そう思った。
 すると、ほどほどに書くつもりが、何日間か旅行に行ったあいだの日
記がまるごと空白、という事態にまで進展して、それもどうかと思うが、
きのうの日記も早速空白。
 きのう、私は町の氏神様に初詣に行った。
 小さな神社で、いつも閑散としているのに、鳥居から拝殿まで長い行
列ができている。車止めから拝殿に向かう、あまり知られていない脇道
を行ってみたが、参拝の横入りを許してくれそうにない人々の雰囲気に
屈し、御神酒だけもらって帰ることにした。
 その際、巫女さんに訊ねたら、
「毎年、こんな感じです」。
 腑に落ちなくて、去年の日記を読み返したら、去年も二日のほぼ同じ
時刻に行っていた。けど、こんな人出じゃなかった。
 私は、巫女さんより、私の日記を信じる。