大学時代、バスガイドのアルバイトをしていた。
京都、奈良、大阪が担当。
昼食は、客と同じ弁当を出してもらえることがある。そうでなければ、
ここならこの店、と先輩から伝授された店に行く。どこも安くて美味しい。
法隆寺近くの惣菜屋は是非もう一度行きたいが、今、行こうとしても見
つからない。バスガイド達だけにしか姿を現わしてくれない店なのか、と
思いそうになる。
ところで、当時からの親友曰く、私は優秀なバスガイドだったらしい。
研修の早い段階で、
「もう一人で立たせても大丈夫」
と認められ、さっさと仕事に送り出されたと言う。
記憶にない。
彼女は京都から奈良に行くのは苦手で、私にそう話したら、私は、
「えー、何も見えないから、自由に話せて私は好き」
と目を輝かせたそうな。
思いやりに欠ける若い時代だったんだなあ。
私は遠方に住んでいるので、彼女達のように市内からタクシー出社とは
いかず、朝一の電車に乗っても、みなが出払ったあと、その朝の遅出のバ
スの担当になることが多かった。
初めての仕事は市内観光だった。
マイクを持つ手に隠し持った小さいメモ帳。記憶が飛んだ時用に、その
日の朝までかかって準備した。
客達の視線から逃れるためもあったのか、結構チラチラ見ていたらしい。
寺を案内する時に、あれは何を見ているのか、と聞かれた。
新米だとわかったら、がっかりされるだろうなあ。
ところが、中高年の男性は優しいのか。
理由がわかると、仕事熱心だ、と褒めてくれた。
年齢差は、それだけで優しさの条件になるのかもしれない。
一方、同年代だとどうなるか。
昼前に団体客を見送り、午後から別の団体を迎えに行くまでのあいだ、
誰もいない控え室で、長椅子に横になった日のことだ。私は、テーブルの
上の見慣れぬ雑誌は無視して、寝た。
ざわざわとみなが帰ってきた気配で起き、その雑誌が目に入ったが、見
ずに、仕事に出た。
夕方帰ってきても、まだある。
手に取り、見た。
二条城の入り口の大きなパネルを旗で指し示して修学旅行生に説明して
いる私の全身が写っている。アルバイトの求人雑誌だった。
でも、誰も何も言わない。
同じ団体の仕事なら一緒に昼を食べるし、誰かの家に集まって青春する
仲なのに。
その雑誌は持って帰った。今もある。
で、ある日の昼食のことだ。
親友と遭遇した救急車事件のことを書くつもりだったが、思い出に寄り
道しすぎた。