十九歳の知り合いの女の子からのたっての招待だと思い、facebook
にページを作ったら、
「招待なんかしていない」
と言われて、思い出した。
前にも一度、友達から招待されたことがあり、電話で、
「ごめん。facebookの面倒まで見る時間がないの。パスさせて」
と断ったら、同じ返答を受けた。
本人の了解なしに招待メールが送られてくるのか、と戸惑わされた記
憶が蘇っていれば、今回はまずインターネットで調べることから着手し
ただろう。
愚かにもページを作ってしまった。
愚か、と言うのは、ログインしないことでfacebookを「亡き物」に
してしまえないから。
「Facebookでたくさんの友達が待っています」
「ダレさん、ソレさん、他8人をご存じですか?」
新着メールが届く。
あのさあ。知ってるわけ、ないじゃん。
たまたま英語を教えていて接点があるだけの十九歳女子の友達なんて。
的外れな人達のフルネームを、
「知っているのでは?」
と問われるのは、シュールである。
この夏偶然知り合ったアメリカ人から、メールの最後にfacebookに誘
う文章が書かれてきた時、私は、返信メールでその件に触れない、とい
う方法で意思を伝えたが、あの時応じていたら、アメリカ人の「ダレさ
ん、ソレさん、他8人をご存じですか?」メールが届き続けていたのだ
ろうか。
だったら、ますますシュールで、笑えてきそう。
いや、迷惑、と言うべきだった。
こんなこともあろうかと、facebookのアカウント登録にフリーメー
ルのアドレスを使ったのは正解だったが、そのアドレスは滅多に使わな
いよう制限して清く正しいものとして取り置いてあっただけに、face
bookからの頻繁な招待メールで汚(けが)されるようになったのが悔
しい。
しかし、私が迷惑しているように、もしかしたら、十九歳女子も、私
の友人達を、
「ご存じないですか」
と問われて面食らっているかも。
フリーメールのアドレス帳を確認すると、数名の友のアドレスを登録
してあったので、急ぎ全消去。
っんたく。
なんで、こんな面倒、かけるかなあ。
だいたい、「友達の友達」というのが、すでに曲者(くせもの)。
たとえば、友達と、その友達の友達は、どちらも私と同級生だったと
しよう。
私は今も一人目の友達とは親しく付き合っているが、二人目の友は私
にとってはもう「過去の人」だし、今後もそれでいい相手になっている
場合もあるだろう。
そういう人の心の機微を一切無視して、
「友達の友達だから、友達でしょ」
と押しつけてくるのがfacebookの招待メールだとしたら。
デリカシーはどこにある。