殺されなかった三男に学ぶ

 いつでもどこでも誰にでも、とは言わないが、マンションのエレベー
ターで住人と遭遇した時などに、
「こんにちは」
 と挨拶するか、無言で目をそらせるか。
 私は無言でいる方がストレスだ。
 フランスでは、客は店に入ると必ず、
「ボンジュール」
 と言う。
 フランスの専門店や個人商店はひとの家を訪れるようなもの。だから
挨拶するのが当然、と説明されるみたいだが、パリのバッグ専門店で売
り子と話をしながら商品を選んでいたら、日本人観光客がぬ〜っと入っ
てきて、店内を一瞥すると、無言のまま店から出ていくのを目撃。その
時は、さすがに、それが日本流と知る私の目にも不気味に写った。
 しかもこの女性、全身を緊張感という鎧で武装していたのが痛々しく
て。
 人の国だとそうなるか。
 けど、だからこそ、英語でいいから「ハロー」のひと言だと思うんだ
けどな。
 勇気を出してそう言えたら、緊張は一気に吹っ飛び、その後はどんな
に無言でどれほど長く店内にいても平然としていられる。
 自分らしく堂々と振る舞える。
 そういう空気は、自分自身で築くもの。
 挨拶は、そのための魔法の鍵。
 それに、思わぬ災難から我が身を護る盾となってくれることだってあ
る。
 ここに、行き当たりばったりに相手を選んで犯罪を犯そうとしている
人物がいたとしよう。誰を選んでもいいはずだが、直前に挨拶したりし
て、彼らと言葉を交わした相手は避けたがるそうな。
 たったひと言の挨拶でも、何かしら人間的な繋がりができたと感じる
からではないだろうか。
 そういう解釈でいいんだよ、と言ってもらった気がしたのは、愛知県
蟹江市の母子三人殺傷事件のミステリーだ。
 中国人の容疑者は二OO九年五月一日夕刻にその家の母親を殺し、次
に、帰宅した次男を殺すも、翌朝未明に帰宅した三男はナイフで刺して
怪我させるにとどまった。
 三男から、
「殺さないで」
 と命乞いされたからだとか。
 家から出て行くように、とも諭され、すると容疑者は、
「逃げても、すぐ捕まる」
 などと会話に応じてしまい、その結果、容疑者は三男を殺すことにた
めらいが生じたというのだから、会話の威力や恐るべし。
 人は、言葉を交わさなければ「物」と同じ。
 言葉を交わして初めて、血の通った「人間」になる。
 家族や友人以外の人間関係は不必要と豪語している人でも、その一言
で心がぱあっと明るくなった、というような気分をもたらしてくれるの
は、案外、行きずりの見ず知らずの誰かだったりするのではないか。