言葉は、心

 義務教育の英語では、日常会話もできない。
 そんな批難への回答が、今の中学の教科書なのだろう。
 本文は、英会話のテキストにしたいような自然な会話文。
 悪くない。
 その代わり、系統立った文法修得は大きく後退した。
 たとえば、中一の初めに、「私の」「あなたの」という単語が出てき
ても、ついでに「私達の」「彼らの」まで教えることは求められない。
「ダレソレはナニナニです」という構文も、「ダレソレ」は「私」と
「あなた」のみで当面は良しとするみたい。
 でも、「私は〜です」が出てきたら、「あなたは」「彼は」から「彼
らは〜です」までまとめて教えた方が全体を把握できると考え、個人的
に教えている中学生にはそうしている。
 小学生の頃から教えていて、復習でさらっと済ませられるので助かっ
ているのだが。
 学校では、自前のプリントを膨大に使い、その中で系統立てて文法を
教わっている模様。
 カラー印刷の副教材もある。
 英語教育はいろいろ批難されているようだが、先生方も頑張ってくれ
ているんだなあ。
 だけど。
 この春中一になった女の子が、副教材の宿題を、
「つまらない」
 と言うので、ちらっと見て、驚いた。
 六月のことで、穴あき問題の直訳は、
「私は良い先生です」の次が、「私は良い先生ではありません」。
 あかんやろ。
「私は良い先生ではありません」
 って、そんなことを自分で言う先生がこの世にいますかね。
 単語を入れ替えるだけの文法練習だから、意味は二の次・・・?
 それでは言葉を扱う資格はない。
 言葉には意味がある。そして、言葉は、それを遣う人の心が投影され
る。
 私も、練習問題を作って、やらせるけど、「あなたは良い生徒ではあ
りません」なんていう問題は、気分が悪くて、作ろうとしても作れない。
 自然な会話、とか言って、教科書はそれっぽくなっても、それを補強
する副教材がこれじゃあ、昔と変わらないじゃん。
 文法学習に一貫性がなくなり、かつ語彙の量が減ったせいで、実際の
会話にはあり得ない問題を機械的にさせることになっているとしたら、
昔より悪くなった、と言いたいぐらい。
 悲しい。
 憤怒である。
 受験間近の中三の女の子が担任から言われたという言葉もそうだった。
「受験はなぁ。人を落とすためにある」
 えっ。
 担任は、
「しっかり勉強しないと落ちるぞ」
 と言いたかったのだろうか。
 でも、そう言わなかった。
 担任は、心から、
「人を落とすのが受験」と信じていて、だから、そんな言葉が口から出
たのだ。