個人的に英語を教えている中三女子は入試の真っ最中。
その日は、公立高校の過去問に取り組んだ。
答え合わせは、別冊の解答集の答えを、私が棒読み。
間違った設問だけ一緒に見直す。
英語の長文の、その問いに関するところだけ読ませたら、中学校で習
っていない熟語が一つ交じっている。
でも、その熟語の意味がわからないと解答できないということはない
ので、前後の文脈から「たぶん、こういう意味かな」ぐらいで流せばい
いかならね。
「あれ」
英語の長文のすぐ下に『注』の一行。そこに、その熟語の訳も載って
いる。
テーブルを挟んで彼女の正面に座り、問題集を逆さに見ている私でも
気づいた『注』である。なんであんたは見落すかなあ。
そう思った途端、彼女の頬に手が出た。
撫でるように、てのひらを軽く当てただけ。
それでも、無意識に手が出た私自身にびっくり。
ではあるけれど、
「ああ、よかったァ」
彼女を教えてかれこれ七年になる。
レッスン中、彼女にはむずかしいかなあ、と思って質問して、正しく
答えてくれたりすると、
「そう、それでいいのよ」
激励するだけでは物足りなくて、てのひらをハイタッチの形で差し出
し、彼女の手が重なるのを待つ。あるいは握手する。
この日は、行ってすぐ、
「私立高校に受かった」
と報告を聞き、
「よかったねぇ。おめでとう!」
握手もしたが、それでも足りず、私はテーブルを回って彼女をぎゅっ
と抱きしめた。
そして、レッスンを始めたら、彼女の頬を軽くはたくことになったわ
けだが、てのひらに最大限の力を込めれば病院行きにさせることもあり
得る暴力行為に手を染めたのは、今回が初めて。
呆然としたが、彼女も驚いたのではないか。
なのに、何事もなかったようにレッスンを続けられたのは、「手」を
使って気持ちを表わす「暴力行為」の対極にある「愛ある行為」を、私
は何百倍、何千倍も実行していて、その蓄積があったおかげであろう。
そう。
この世には、プラスとマイナス、陰陽、表と裏、昼と夜・・・など、
正反対のペアで一対となるものは多い。
片方が肥大しすぎると、バランスが崩れ、その世界は不穏なものとな
る。
手を使った「暴力行為」に熱心な人達は、もしかしたら、それとペア
になるべき、手を使った「愛ある行為」の方は、それをすべき時が来て
も黙殺するか、その時が来たと気づく能力が未発達なのではないか。
で、尊敬されない、軽蔑される、嫌われるし、第三者からは批難され
るのではないか。