ストレスからのサイン

 いろいろな病気の直接、間接の原因に「ストレス」を挙げられること
が多い。
 ストレスは上手に取り除きましょう。
 しかし、どう取り除くのか、の考え方には正反対の二つがあると思う。
 一つは「私は悪くない。私にストレスを与えてくるまわりが悪い。だ
から、まわりの人、環境を変えなくては」と発想するもの。
 もう一つは「そうかあ。同じような状況でもケロッとしている人もい
るなあ。ストレスを取り除くとは、自分自身の意識や感じ方、考え方を
変えよ、ということか。そうやってストレスを感じるセンサーを変化さ
せれば、少なくとも今感じているストレスは感知できなくなるよな」と
思考するもの。ただ、こちらは「君自身に問題があるんだよ」と言われ
ているようなものだから、そうでなくても心身が弱っている時には断じ
て耳を貸せないかも。
 それにしても、人は誰しも「自分は悪くない、自分は変わる必要がな
い」と考えるものだが、なんでだろうと考えると、生まれてから今まで
のあいだに誰かから教え込まれたり、自分自身がこれは良いと選んだ考
え方を自分自身の血肉とすることで、「これが人として正しい、常識」
という信念が構築されていくからだろうか。
 それは「自分だけの憲法」。
 ということは、まったく相容れない「憲法」同士がぶつかる時も来よ
う。互いに自分の憲法を強要し合い、負けた方がストレスに沈むことに
なる。
 しかし、そのストレスはチャンスかも。
 だって、自分は正しいという姿勢で、きのうも今日も明日も生きるな
ら、もう天国にいるようなもの、あるいは死んでいるのもの。
 変化は怖い。
 けど、さなぎが、蝶になったあとのことを想像できなくて、さなぎの
ままでいる方が居心地良いと抵抗する愚かしさを思えば、このストレス
は不快だから自分自身を変えてみようと実行できたら、人生の新たなス
テージが開けてくれる気がするのだ。
 もちろん、自分が変わっても、相手も状況も何も変わらない場合もあ
るだろう。その時は、相手に見切りをつけても、なんら心が傷まない、
静かで強い自分自身を発見できるはず。
 ・・・何を書いているんだ、私。
 図書館と私の出会い、というたわいのないことが頭に浮かんで、それ
を書こうとしたら、ずんずん話が逸れていった。
 ということで、十年前まで、私の人生に図書館は存在しなかった。
 父母の価値観に縛られていたのだ。
 だが、十年前、その価値観を捨て、私の精神世界は豊かになった。
 叔母のおかげだ。