勧誘の電話

 会える時は電話をくれ、と年賀状に電話番号が書かれていたので、かけ
たら、私の番号が登録にないからと、なかなか電話に出ず、私を苛立たせ
た友と無事再会できて六日後、私の携帯電話に見知らぬ番号から電話が入
った。
「もしもし」
 男の美声が、マンション経営に興味はありませんか、と話し始める。
 だが、一分も経たずに、
「もしもし」
 と言うから、
「はい」
「あ、聞こえていますか」
 話が再開。
 と、またもや、
「もしもし」
 私はちゃんと聞いているのに、一体、何。
 でも、わかる。
 スカイプでフランスの友人と話をする時、互いに、動画がパソコン画面
に出ないようにするので、受話器を手に持たずに電話するような環境にな
るのだが、相手が話しているあいだは、話し終わるまで黙って耳を傾ける。
途中で相槌を打つと、相手の言葉を遮って言いたいことがあるのだ、と理
解され、次の言葉を待たれて、会話の流れがおかしくなるからだ。
 無闇に相槌を打たない。
 それが標準、と急に世界規模の常識に拡大するのは行きすぎだし、嫌味
にもなろう。
 それに、思い返せば、頻繁に長電話してくる日本の友達との時も、私は
友が話すのを無言で聞き続け、それでも友は「もしもし、聞いてる」と途
中で確かめたりしない。
 しかし、勧誘電話の男は不安にかられた。
 まあ、確かに、面と向かって話す時でも、相槌なし笑顔なしで、ひたと
自分を見つめて耳を澄ます相手を目の前にしたら、自分の話を、さあ、君
達は聞くのだ、という尊大さが身についた人でなければ、怯んで、目が泳
ぎ、口籠もりそうではある。
 相手との関係性ができていない場合は特に、相槌を期待したくなるのが
ニホン人の心情なのだ。
 そう理解した上で、私は気がついた。
 相槌は相手の話を聞いているというサインでしかないが、肯定の言葉に
酷似しているがゆえに、自分自身の相槌に誘導されて、無意識に相手に迎
合してしまうこともあるのではないか。
 迷惑電話は、相槌を打たなければ、自己催眠を誘発しないから、こちら
が優位に立てる、ということになる。
 実際、今回の相手は素早く説明を切り上げて、質問をし、私が短く答え
たら、そそくさと電話を切った。
 もっと詳細に説明してくれたら、聞いたよ。
 そして私は、インターネット契約なしの私のガラケーの電話番号をどこ
から入手したか、聞き糺しただろう。
 それにしても、マンション経営か。
 今の私に。
 五年、早すぎたね。