なぜ勉強しないといけないのか

 暇つぶしにテレビを付けても、消すことが多い。
 ニュースはどの放送局も内容が似たり寄ったりだし、女子アナのみな
らず男子アナまで同一画面に複数人、並ぶようになって、アナウンサー
も余っているのか、と勘繰りたくなる。
 そんな中、『香川照之の昆虫すごいぜ!』は、なんとなく付けてその
まま最後まで見ることになり、嬉しい偶然であった。
 そこまで長時間は見続けないが、あちこちチャンネルを回しているあ
いだに、なんとなく気が惹かれて、少し手をとめることがある。そして、
見てよかった、と思えると、だらだら見ていなかったのに、ほぼいきな
りの効率よいタイミングで私自身に役立つ情報と遭遇できた偶然をあり
がたく思う。
「なぜ勉強しないといけないの」
 と子供達に聞かれ、ちゃんと返答できない、という親達の相談番組を
見た時もそうだった。
 堀江貴文が「したくなければ、勉強する必要はないと思う」と答えて
いた。
 将来役に立つかどうかは将来にならないとわからない。それよりも好
きか嫌いかが大事。好きなことなら熱中できるし、その能力を伸ばした
方が将来有利だ、と。
 以前の私だったら素直に頷けていただろう。
 だが、気がついた。
 彼のこの物言いに頷けるのは、勉強をいやだと思ったことがない人達
ではないか。
 もちろん、すべての学科が得意というわけではない。しかし、「勉強」
という大きな括りで考えると、将来役に立つというような小賢しい計算
からではなく、知らないことを知ることが純粋に楽しいから、勉強する
なと言われたら、苦痛になる。
 根底では学ぶことを面白いと感じる人が、まったくそう感じられない
人に、自分の感覚で勉強の良さを語っても、相手の心に響くことは難し
いのではないか。
 普通は、
「なぜ食べなくてはいけないの」
「なぜ寝なくてはいけないの」
「なぜゲームをしなくてはいけないの」
 などと質問しないことを考えれば、わかるだろう。
 すると、「悟りたい」と願う気持ちも理屈は同じだな、と気がついた。
 この世の理不尽にも心が折れず、ゲームをクリアするように果敢に立
ち向かっていける人は、悟りたいなんて思わないだろう。
 だが、この世を生きづらいと感じ、なぜ、と自問せずにいられない精
神を持ち合わせている場合は、自分をこの世に存在せしめた、もっと大
きな存在へと意識が向かう。
 なぜ、こういう世の中なのか。
 この世の絶対的真理は何なのか。
 それがわかったら、つまり悟れたら心が救われる、と思うのだ。