わかりやすく、で消えるもの

 漫画は誰でもたやすく読めるのか、を大学教授が中心となって研究し
たそうで、その要約を記事で読んだ。
 普通に描かれた漫画と、研究結果を踏まえて描き直された場合が対比
されている。
 単純化された方は、コマ割りを水平と垂直ラインのみに限定し、擬音
語擬態語は排除。たった八つのコマ割の中の七つまでもが、そのコマで
言葉を語る人物の顔の大写し。
 話は逸れるが、会話の中なら「顔のアップ」と言うが、「ニホン語に
は大写しという言葉があるじゃない」と思って、書く時は無闇なカタカ
ナ乱用に抵抗したくなる私である。
 さて、私は漫画はほとんど読まないが、そんな私でも、誰にも読みや
すく、という目的に沿って描き直された漫画はつまらないと感じた。
 どよんとした気持ちを表わすのに、細かい縦線と、その背景を灰色に
する手法を使ったと説明されなくても、表現意図を正しく直感して目は
さっさと次のコマに進むが、そこで躓く人がいると知り、そういう人に
も理解してもらえる描き方はこうだ、と示されると、なるほどと思う。
 おかげで「漫画を読むより勉強しなさい」という地位に貶められやす
い漫画も、実は高度な芸術性があるとわかった。
 音楽、フィギュアスケート、将棋、絵画・・・。
 人は最高級が好き。
 人間業とは思えない技に接すると、心が痺れる。
 ただ、難解だと、ついていけない。
 それでは残念だ、ということで、仏教の経典が僧侶達により民衆にわ
かりやすく説かれることになったのだろうし、『君たちはどう生きるか
が漫画になったのも、アルフレッド・アドラーの心理学を紹介した岸見
一郎の『嫌われる勇気』が文字数少ない自己啓発本として焼き直し出版
されたのも、そういうことなのだろう。
 善意だ。
 が、本家の格調は失せる。
 百歩譲ってそれは良しとするとして、私が苛立つのはゴーストライタ
ーの文章だ。
 この世にゴーストラーターは一人きりではなかろうに、一人しかいな
いみたいに、言いたいことは伝わるが、それだけで、読む楽しみを味わ
わせてくれない。文の芸がない。
 自身の名で出す本をゴーストライターに書かせる人達は、なぜなのだ
ろう。
 餅は餅屋と言うけれど、言葉はその人そのもの。
 自分が喋った言葉を誰かがうまくまとめてくれたとて、そこに魂はな
いから、あらすじを読んでいるようなパサパサした文章で、斜め読みで
事足りる。
 平易な文章を嫌っているわけではない。
 私は新美南吉が大好きだ。