悟らなくても

 証明できないから正しくない、とは言えない。
 それでも、証明できないあいだは、そうかもしれないが、そうでないか
もしれない、あるいは別の可能性があるかも、という眼差しでいた方がい
いと私達が知っているのは、私達の脳自体はさして進化していなくても、
その脳により、信じたいように信じた時に大きく真実から遠ざかることを
歴史の中で経験してきたからだ。
 この世は、誰が、なぜ作ったのか。
 気がついたらこの世に生まれていた、という不思議さゆえに知りたいと
願う。
 死は不可避的にみなに訪れる。
 よって、死んだらどうなるのかが気になる。
 この世の根源を体験したらしいスピリチュアリスト達は、そこは絶対無
で、自他の区別がない非二元、ワンネスだ、と言う。
 耳に心地好い。
 完璧、なのだから。
 ただ、完璧は恐怖だと思った、と語る者もいる。
 完璧は、それを越える次元がない。自他の区別がないのは一人きりとい
うことで、寂しすぎる。
 それに、自他の区別がないと、すべては思い通りになるわけで、そんな
世界に驚喜できるのはいっとき。あとはひたすら退屈になる。思い通りに
なることが少ないこの世の方がよっぽど幸せに思えてくる。
 アダムとイブは天上の世界で満ち足りて暮らしていたそうだが、なぜ、
その世界の創造神は、彼らに、この木の実だけは食べてはいけない、と釘
を刺す必要があったのか。
 駄目と言われたらしたくなるのが人間。そういう風に人間を作っておい
て、そんなことを言うなんて。
 それでもアダムとイブが神の命令に背く様子がないとみるや、神は蛇を
遣わし、彼らをそそのかさせた。
 木の実を食べたイブ。イブと共に追放されたアダム。
 ここに、彼らの子孫が悪に染まりやすい遺伝子を引き継ぐことになった、
と見ることはできそうだ。
 宇宙の根源は、わくわくして退屈を逃れられたらよいのだ。
 問題は、人は、楽しくて心沸き立つ時と、怒りや憎しみ、悲しみなどに
感情を揺さぶられる時では、負の感情の方が強力なことだ。持続性もある。
 無自覚だと人が悪しき方向に流れやすいのは、そういう理由かもしれな
い。
 しかし、そういうからくりがわかったのなら、もう、その手には乗らな
いと宣言し、一人一人が決然と善き方向を目指して生きればいいだけ。
 ん。これって宇宙の根源や死後の世界に興味がなくても、生きる普通の
話になるなあ。
 見えない世界へと思考を飛ばし、概念をもてあそんでいたはずが、この
世を良く生きるコツに舞い戻る。
 興味深い。