虐待する精神

 死ぬ間際に自分の過去が走馬灯のように映し出されると言われたら、
他人にはばれていなくても、自分の目には悪は悪であったとわかるわけ
で、今生きているうちからより善く正しく生きよう、と誰しも自戒する
ことになる。そんな大前提があって初めて、この話は成り立つ。
 自分が善だと信じて為した言動が、実際には誰かにとっての悪になっ
た、というような予期せぬ展開を死ぬ前に見せつけられたら、善人気取
りだった自分自身の愚かしさに恥じ入ることになるけれど、たとえ我が
事でも、悪を善だと言いくるめない。そんな気構えは持ちたいものだ、
という願望に誰も異論はないだろう、と思って、そういう事をこそ見せ
てほしいと前回書いた。
 だが、『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』は、
悪でも善でもなく普通の事をしているつもりで我が子に極悪非道な行な
いをする親がこの世に五万といることを発信した。
 親からの虐待に堪えかね、「殺すなら殺せ」と泣き叫んだら、「生か
してやっているだけありがたく思え」と父親からさらに強く蹴り飛ばさ
れた過去を持つ人とか。
 親からの虐待は、肉体的、性的、経済的、精神的と多岐に渡る。
 貧困や、両親自身が親の愛を知らずに育ったせいの負の連鎖だと説明
されることが多いが、エリートの父親と専業主婦の母親の、傍目に理想
的な家庭の中で、父親が恐怖政治のごとく家族を支配している事例も多
い。
 親がそんなことをするはずがない。
 そう言えるのは、そんな凄惨な世界が存在すると信じられない至福の
世界の住人達だ。
 そういう人達は「親を大切にしろ」「親を愛せ」と当たり前のように
言い、親から虐待されている子供達は、助けてくれそうな外部の世界か
らまでも、さらなる暴力を受けていることになる。絶望である。
 善を為したつもりが悪という結末に結びつく一例になろう。
 なんにせよ、自身の狂気の刃を、弱者に向かって容赦なく振りかざせ
る人達は、死ぬ間際に自分が我が子にした非道を見せつけられても悔い
たりしないだろう。
 倫理的善悪を正しく判断するセンサーが壊れている人達。
 戦争がなくて平和な国、と思っていたら、そういう国には別の形の戦
争が存在するのであったか。
 権力を笠に、部下を理不尽にいじめ倒す。
 セクハラは、医師の世界にもあると内部からの声が上がり始めた。
 要は、この世は、人が集まったら、弱肉強食の世界になるしかないの
か。
 救いないのか。