善く生きる、の難しさ

 私達は、なぜ、この世に生まれてきたのだろう。
 死んだら、どこに行くのだろう。
 そこまでたいそうなことは考えなくても、嫌な事、理不尽な事がある
と、なぜなんだ、と溜息をつきたくなる。
 そういう時、宗教が心の拠り所になればいいが、一つの宗教を信じる
ということは、それとは別の宗教を信じる人と敵対する構造を産む。
 実際、世界中で宗教が理由の戦争が起きている。
 宗教にどっぷりのめり込みすぎるのもなあ、という立場を取れる育ち
方ができるニホンに生まれたことをありがたく思う。
 信じないわけではないけれど、百パーセントではない・・・。そんな
いい加減さのおかげで、宗教の狂気から離れていられる。
 でも、もっと心から信じられる正解がほしい。
 この世は、どうして生きづらかったりするのだ。
 なんで平気で悪しき行為をする人がいるんだ。
 そう思う心に、スピリチュアルは、宗教よりも何かもう少し上の視点
を授けてくれる気になったかもしれない。
 ただ、前に例を出した、一人一人がこの世で魂を磨いてあの世に戻る
と私達の魂のおおもとが純度を増す、という話を説かれたりすると、一
瞬心がくすぐられるが、論理の穴がいっぱい。
 自分が個人的に善き行ないで善き人間を目指すのはよい。
 だが、人々の魂のおおもとがそれを求めている、となぜ言える。
 周りを見渡せば、悪びれずに善き行ないに反する行為に手を染める人
は多いし、あとを絶たない。
 そういう人達が理解できなくて、自分から善き行ないを実践すればこ
の世が良くなる、と信じたい人達がこの思想に惹かれたのだったとして、
悪しき言動の人達を感化することはできない。
 それに、悪しき言動、というのも主観である。
 パラダイス文書は世界の富裕層の資産の税逃れの実態をあばいたが、
そこに名を連ねる大企業や著名人は、法に触れないから悪いことをして
いないと言い張るのではないか。そういう人達の中に、これ以外のこと
では人々から尊敬されている人がいるだろうし、スピリチュアルに傾倒
している人がいるかもしれない。
 人から見た悪と、自分が自分自身の悪だと判断する内容は一致しない
のだ。
 不倫疑惑報道で女優が化粧っ気なしで泣き崩れて謝罪したのを見て、
この人は、マスコミではなく、今後の夫の仕打ちがよっぽど怖ろしいの
だろうな、と可哀相になった。
 その夫は笑顔でそつなく会見し、高評価を得た模様。自分自身は微塵
も悪くない、と思っていることだろう。
 私には、ただもう不気味だったけど。