老いた親に学べ

 今日から、はてなブログ
 これを機に縦書きにしたかったが、本文前後の定型を縦書き用に作り
替えるのは面倒だと腰が引け、あ、まぐまぐのメール配信用と混同して
いたと気がついたが、やってもすんなりいかないかもと不安になり、い
つかは縦書き、と夢見つつ、横書きに甘んじることにした。
 自分の限界をわきまえていると見れば賢明な判断だが、頭の中だけで
結論してと見れば意気地なしである。
 だが、インターネット関連は、普通の家電と違って、すぐに私の管理
能力を超える反乱を見せるから、なるべく寝た子を起こしたくないのだ。
 年末にガス炊飯器が壊れ、ドイツ製フィスラーの圧力鍋を使うことに
したら、圧力がかかったあとわずか三分の加熱でも、お粥のような出来
上がり。
 圧力鍋は、もともと玄米を炊くために買い、玄米の時はお米の粒が立
つ炊き上がりになっていたので、白米はよっぽど柔らかいんだなあ。
 玄米は白米より残留農薬が溜まりやすいと知り、やめたので、白米に
ふさわしい加熱時間を見極めねば。
 と思っているうちにガス保守の人が来て、ついでに見てくれたら、私
の力の入れ方が弱くて、たまたま点火しなかったのだろう。
「まだまだ使えますよ」
 困ったなあ。
 二十二年も前の炊飯器。
 壊れたのなら、心煩うことなく捨てられる。炊飯器のあった場所に空
間ができる。
 でも、点火すれば放置できる利便性は捨てがたく、今までどおり炊飯
器を使うことにした。
 それに、この炊飯器が今も現役なのは、ご飯を炊くという目的に特化
したシンプルな構造だから。場所塞ぎがどれほどのことであろう。
 私がそう思うのは、場所を取らない、一石二鳥どころか三鳥四鳥であ
ればあるほど善である、というかのごとき製品には警戒心を持つからだ。
 使いこなせない。
 すでにテレビのリモコンが、そう。
 うっかり妙な所を押したのか、画面が番組表になったりすると、あ、
ここを押せばいいのか、と嬉しくなるのではなく、苛立つ。
 求めていない機能だから。
 それに、そこに至る前に、ボタンの多さの前で立ち尽くすこともある。
 馴染みのない電鉄会社の駅の発券機では戸惑わされるし。
 そういうのも瞬時に使いこなせるのが社会の中枢人間だと思っている
としたら。
 いずれ、ボタンが小さくて押せない、押しても動かない、どこを押し
たらいいのかわからない私は馬鹿なのか、と嘆く日は来よう。
 単純なほど、万人向け。
 せめて家の中の電化製品には、その選択肢もあり続けてくれたら。