暮らしの変人

 友達が、稲垣えみ子の本を二冊読んだが、菊さんがそばで話しているよ
うな錯覚を覚えた、とメールに書いてきた。
 書いてあった題名は忘れて図書館のホームページから適当に二冊を選ん
だら、まさしく友が読んだという本で、純粋に題名に心惹かれて選んだつ
もりが、私の深層心理はしっかり覚えていて、その題名に強く反応し、私
の意識が選ばされることになったのかもしれない。
 この著者がアフロヘアの元新聞記者だとわかると、その髪型のイラスト
入りで連載記事を書いていたあの人なんだ、と人物と名前が一致した。
 私はアフロじゃなくて、天然パーマ。生まれつきというところは私の勝
ちかな。
 掃除機じゃなくて箒。これは私もすでに実行している。掃除機を出して
くるおおごと感とうるさい音が嫌だったので、彼女と同類。
 湯たんぽも使っている。ただし、著者と違い、デパートで買った銅製だ
し、箒は棕櫚(しゅろ)箒。それも皮巻きではなくて高級な鬼毛である。
 この手の道具をケチらないのは、フランス人の国民食マッシュポテトを
初めてフランスで食べる時、学食で食べたりしたら、冷凍食品で、こんな
のをフランス人は美味しいと思っているのか、と憐れむことになるから、
そういう勘違いに陥らないためだ。
 食は最初が肝心。道具は腕より重要。
 この点において、私は著者と袖を分かつ。著者がこれらの道具に目覚め
たのは、一にも二にも電気代を最大限矮小化するためだった。原発事故の
加害者の一端は、被害者にならなかったのを良いことに、野放図に電気を
使い続けている自分達にもあるのではないか、と彼女は考えたらしい。
 そこで、冷蔵庫、洗濯機、エアコン、電子レンジなどを持たない生活に
突入。
 その生活ぶりを知れば、巷の断捨離などチョロいもの。
 どの世界でも、もっとも極めた人が頂点に君臨し、人々は少しでもその
人に近づきたいと願うものだが、断捨離の分野では、そういう人と比べて
私はまだそこまで到達できていない、と自分を責めるのでなく、その気に
なれば、まだまだ極める余地はあるし極めてもいいんだ、という応援歌に
なってくれる気がする。
 この著者の暮らしの描写から、少なく持つことは惨めではなく、むしろ
日々の暮らしが楽しくなり、心が豊かになった、という著者の言葉に納得
させられる。
 家に帰って玄関で電気を付けず目をこらしてみたら、暗闇の中に徐々に
濃淡のある輪郭が立ち現われてきて、いつもは瞬時に追いやっているその
光景が新鮮だった。