愚痴を言う人

 話の流れの中で、友達から、愚痴を言わないか、と聞かれて、私は考
え込んだ。
「言わないなあ。私の周りにも愚痴を言う人はいないなあ」
 私も、私の周りの人達も、別に聖人君子ではない。
 手紙をやり取りしている叔母と電話で話した時、
「ちょっとね・・・。あ、でも、そんなことはいいから」
 叔母は体調の悪さを漏らしかけてから、そんな事を話しても楽しくな
い、とすぐさまその話を切り上げたが、私の周りはそういう人ばかり。
 ところが、その友は、
「愚痴を言うと、すっきりする」
 と言う。
 埒のあかない事を聞かされる相手の気持ち、時間の無駄は考えないの
かなあ。
 彼女は、もっと自分の気持ちを大切にしたら、と勧めたくなるほど、
夫、両親、義父母のために自分の気持ちを抑える生き方をしているみた
いだが、
「それは考えない」
 きっぱり言い切るから、徹底的に他者優先ではないってことなんだ。
 彼女の話は、周囲の考えを汲むと自分はこうするしかない、という論
理展開で、流れなき、淀んだ池。
 しかし、客観的に突破口は見えるので、伝えると、
「あ。それは、かくかくしかじかの理由で、無理」
 そこにこそ解決法があるのに、それ以外で画期的解決法はないかと要
求する。
 人に相談しても、やっぱり今の状態しかないんだ、と納得するよう、
もっていこうとする戦略が透けて見える。
 ならば、現状最高、と笑顔でいればいいのに、本当は嫌なのだという
思いを手放さないから、堂々巡り。
 そういう不毛な話を垂れ流すのは、聞かされる相手よりも自分自身の
心に一番悪影響がありそうだけど。
 現に友は身体のあちこちに不調を感じ、精密検査をしてもらいにいく
が、結果はすこぶる良好で、
「それって心因性なんちがうん」
 口さがない私は言ってしまう。
 ストレスを感じているとは思わないのに、と彼女。普通の人は、この
ぐらいの事がストレスになるんだろうか。
 普通の人? 他人はどうでもいいやん、と私。
 ストレスの耐性は人それぞれだから、標準の指標がわかったとしても、
それと比べられたら、どうだと言うの。
「この程度でストレスに感じるようでは駄目なんじゃないかと思う」
 身体の不調は本当にストレスが原因なのか、と疑っているらしい。
 じゃあ、気が済むまで今のままを続けて、見極めたら。
 彼女は頷き、だから、愚痴を言って気晴らしできればそれでいい、と
いう理屈になるらしいが、そういう言葉を口にするのは、幸せ、そして
運から見放されるための最短距離、と思うのは私だけか。