人に優しい技術

 総務省が携帯料金を納得感のある料金・サービスに、と述べたようだが、
つい先日ガラケーからガラケーに機種変更した私には無関係、のはず。
 嫌でもついてくる無料通話料金を実費にしてくれたら、毎月ペットボト
ル一本分ぐらいの料金になって、ありがたいけど。
 新しいガラケーに変える時、一瞬、スマホについて説明を聞き、即座に
却下した。私には難しすぎる。
 私のパソコン能力ならすぐに使いこなせると友達などから言われるけれ
ど、完全に同じではないので、スマホのために割く能力があったら、ほか
に回したい。
 こんな私に、叔母が電話をかけてきて、スマホの質問をする。
 子供達から、同じ機種にしたらわからない時教えてあげられると言われ
て一緒に購入したという最新スマホ。確かに、教えてくれる。
 ただ、息子も娘も、
「そんなん、無視したらいいねん」
 と言うことが多いらしい。
 息子の奥さんだけだ。叔母が納得できるように説明してくれるのは。
 叔母の気持ちは、よくわかる。
 無視していいかどうかわからなくて質問したのに、
「そんなん、無視したらいいねん」
 と答えられても、それは答えではない。
 どういう理由で、という説明がすっぽ抜けている。
 それで納得できるとしたら、そういう大人は、危ない。
 息子、娘は無条件に信用していい相手、というのも違うだろう。
 無視していいと判断した根拠を言葉にすればいいだけだろうに、なぜ、
その手間を省くのだろう。それを言語化できる能力はないが、判断能力は
あるということなのか、と穿った見方をしてしまう。
 人を尊重する。
 それは、頭ごなしに命じないこと。
 判断の主体を自分が奪わないことではないのか。
「店に行ったら親切に教えてくれるよ」
 と言ったら、店の入り口で、来た理由を聞かれても、着席するよう勧め
られることにならない質問なので、店の人に小馬鹿にされる感じがするら
しい。
 叔母がそう感じるのは、こんなこともわからない私、と叔母が自分自身
を卑下するからだろう。
 そのうち私みたいにガラケーにする、と言う叔母。
 でも、そんなガラケーでも、知らないうちに知らない画面になっている
ことがある。そうなった時、自力で解決できるかどうか。
 新聞に、エアコンを使わない老人に関して、当該年齢の読者が、
「操作が難しすぎる」
 と投稿していた。
 フィルターの掃除も面倒だ。
 年寄りにも簡単。
 そういう物は、まだ少ない。