行けたら、行く


 フランス人と苔寺に行った日、まず近くの寺に立ち寄った。
 砂利道の先に寺の門。
 その道の入り口で女性三人が写真を撮り合っている。
「撮ってあげましょうか」
「え、あ、そうですか!」
 私は、彼女達の全身が入る構図でボタンを数回押した。
 仲良し三人組らしく、笑いが絶えない。
 スマホを返すと、今度は私とフランス人を撮ってくれると言う。
 私のカメラを受け取り、構えた人が、
「ズームにするのはどこかなあ・・・」
 独り言のような問うような呟きを口にする。
 私は、
「あ、パソコンでトリミングすればいいので、そのままでいいです」
 すると、見ていた二人が、
「ほうらね、カメラだから。余計なことはしなくていいのよぉ」
 女学生のように華やいだ声で言う。
 その後、彼女達が先に門に向かい始めたが、その後ろ姿を見て、駆け寄り、
歩いている後ろ姿も撮ってあげましょうかと申し出た。
 喜ぶ三人。
 が、そのまま中に入るのかと思ったら、門までで引き返してくる。
 彼女達も苔寺に行くそうだが、予約の時間が私達より三十分早いので、も
う向かわなくてはならないらしい。
「どこから来られたんですか」 
 三人とも全国ばらばらの地点から集結したことがわかった。
 ならば、なおのこと、三人一緒の写真を撮ってあげてよかった。
 ただ、私のカメラで写してもらう時に言われた言葉は気になっていた。
 カメラのズーム撮影の仕方を問われたということは、スマホにもその機能
があり、本当は私にそれを使ってほしかったのではないか、ということだ。
 私は、スマホの写真の人物像が小さくても、二本の指を広げるようにして
拡大して見てくれるだろうと思っていた。
 だが、限度を超えて拡大すると画質が荒れるだけになるので、そう懸念さ
れる時は倍率を上げて撮影するべきなのかも。
 スマホを持たない私に生じた気配りの穴。以後、気をつけよう。
 でも、この人の言葉をそんな風に裏読みするのは行きすぎだっただろうか。
 言葉を素直に受け止める、とはどういうことか。
「行けたら行く」
 行けたら、と条件を述べているのだから、行けないのが大前提。でも、行
ける条件が揃った場合は行きます。
 これ以上明快な意思表示はないと思っていたら、関東では十中八九行くつ
もりの時にこう使うのだとか。
 えっ。
 じゃあ、「行けたら」はどういう意味。
「ちょっと待って」の「ちょっと」と同じく言葉が無力化したのだと納得し
ようとするけれど、やっぱり解せない。私、関西人。