ワクチンは十分あるんでしょ

 新型コロナウイルスのワクチン接種が始まったが、現場で廃棄が生じた
ことに怒り心頭の河野大臣、という報道。
 なんでそんなに怒るかなあ。
 だって、本屋で立ち読みした雑誌に、十六歳以上の日本人全員が二回ワ
クチンを打っても余るぐらいワクチンはある、と載っていた。
 少々の廃棄は想定内なのだ。
 ワクチン廃棄は確かインフルエンザワクチンでも、と調べたら、十一年
前、期限切れで二百十四億円相当を廃棄したと厚生労働省が発表している。
 大量に余っても、足りないよりまし。
 ゆえに、かくも多額の経費が無駄になったが、予想が甘すぎたと後出し
じゃんけんで声高に批難する者は現われなかった。
 今回も同じ。
 少々ワクチンの廃棄が出ても、目くじら立てることはない。
 なのに、ワクチンの供給量には言及せず、廃棄の事実だけを大げさに言
い立てる。
 不安にさせたいのか。
 だとすると、テレビや新聞も同罪かもしれない。
 少なくとも私は、テレビと新聞でワクチン供給量の話題を見聞きしたこ
とがない。
 報道されたことがあったとしても、日々の陽性者数やワクチン接種の予
約関連の報道ばかりの中に埋もれ、ほとんど気づかれない報道の仕方にな
っていた可能性はある。
 そんな中、河野大臣は、一つの無駄も許されない数少ないワクチンだと
印象づけたかったのだとしたら。
 そして、でも、政府はちゃんとワクチンに目配り気配りしているのだと
伝えたかったのだとしたら。
 私はそうは受け取れない。
 ワクチンは十分あるという報道を知らなかったとしても、前回書いたよ
うに、ワクチンの開発生産に後れを取るは、海外からぎりぎりの数のワク
チンしか入手できないはで、歯痒いなあ、という思いを強くするばかりだ。
 ワクチンは届いているのに、さっさと摂取を開始しなかった日本、とさ
らに歯痒くなるかもしれない。
 ところで、過去に天然痘ワクチンなどの副反応を巡って集団訴訟が起こ
った記憶から、日本はワクチン接種に及び腰、よく言えば慎重な国になっ
たという分析を、フランスに向けての記事で知った。
 その上で検索したら、すぐに、そういう記事が見つかった。
 ちょっとヒントがあれば、辿り着ける事実。
 けれども、まったく知らなければ、そういう事実が存在したことを認識
できないから、探そうという気も起こらない。
 知らないことは、知らないまま。
 慌てずとも、必要な時には与えられる、と達観していればいいのだろう
か。