「大丈夫」にイラッ

 わかったかと聞かれたら、「はい」か「いいえ」しか答えはないと思っ

ていた。

 ところが、中学生の三人が三人とも、

「大丈夫です」

 と答えるから、私はイラッ。

 その「大丈夫」は「はい」の言い換えだと理解していいのかと自問自答

するという無駄な労力を強いられるからだ。

 なぜ「大丈夫」と答えるのか。

 その心理を問うてみた。

 すると、男子が、

「確かめなくてもわかっていることを聞かれるから」

 と説明してくれて、私は絶句。

 隣にいた大学生は、彼女自身、よく「大丈夫」と言うらしいが、そんな

深層心理もあり得ると言われたのが驚きだったようで、やっぱり絶句。

 女子二人は、明確に言い切りたくないからそう言う、という分析で、こ

れは私が予想していたとおりであった。

 けどなあ。

 明確に言い切らないことで、何か良いことはあるのか。

 ぼやかしたとて、「はい」を水で薄めただけだから、その後の展開で、

そう答えければよかったと思っても、「はい」と意思表示した事実は変え

られない。

 この言葉が蔓延しているということは、言い切らない方が好まれる社会

になっているということなのだろう。

 日本を引っ張っていくべき、いわゆる「お上」と言われる人達が曖昧な

言い方で責任回避するリスク対策をかくも頻繁に多彩に見せてくれるのを

見ていれば、自然に真似してしまうのかも。

 そして、そうなるということは、そういう国民性ということなのだろう。

 だが、違和感を感じ、私は言わない、と意固地になってしまう私は、そ

ういう中では異端なのだろう。

 さて、先日。

 電車を乗り換えるためにホームに降りたら、目の前に電車が入ってきた。

その行き先は私が降りる駅の二つ前。

 とりあえず、その鈍行で行ける所まで行き、次に来る鈍行に乗るのが最

短時間になるのか。それとも、その鈍行は見送り、次に来る特急に乗り、

途中の駅で鈍行に乗り換えるのがいいのか。

 あるいは、どちらでも到着時間は同じになるのか。

 私の携帯電話はインターネット契約なしのガラケーなので、調べる術が

ない。

 ホームの安全を担うアルバイトがいたので、その鈍行に乗ればいいのか

と質問した。

「大丈夫です」

 確かめる相手がいなければ目の前の鈍行に乗るつもりだったので、その

鈍行に乗ったが、何がどう大丈夫だと言われたのかわからなくて、聞いた

ことを後悔。

「大丈夫」

 それと、

「~~してもらってもいいですか」

 私は苦手だ。