視覚で、記憶

 新型コロナウイルスがまた広まっているが、私の生活は、始まった時か
らほぼ自粛。
 でも、ささやかながらも、日々、何かしら、事は起こり、心は動く。
 万年筆のインクがなくなりかけているが、買える場所が近くにない。オ
ンラインで買うほどでもないと思い、何年かが経過した。
 と、陽性者数が最小になった去年の秋、同僚とランチに行った百貨店で
取り扱っている。
 早速、買ったインクを入れたら、何日間も使わなくても、すっとインク
が出る。これまでは掠れて書けなくなるので、毎日使わなくてはという強
迫観念に襲われていたが、そうか、インクも古くなりすぎると駄目なのか。
 二年前、冬の彩りになると思って買ったシクラメンをうまく夏越しさせ
られなかったようなので、去年の年末、白地にピンクのを買った。
 次々開花してくれている。
 と、近所の花屋でミニシクラメンが安売りになり、つい、一鉢購入した。
 これで十分。
 のはずが、年明けに新たに二鉢安売りが出ると、花数の多い方を買いた
くなった。馴染みの店員が、もう片方は買い手がつかないだろうからと、
二つ抱き合わせでその価格で、と言ってくれて、ああ、幸せ。
 でも、ミニシクラメンだけでも、赤、濃いピンク、紫の三色が我が家に
揃って、私は花屋か。
 強欲だなあ。
 強欲と言えば、希釈用のカルピスのおまけだ。
 三本買ったら一つもらえるおまけ目当てにカルピスを買い、もう一つほ
しくなって数日後に行ったらもうなかった経験を踏まえ、次の時は一度に
六本買った。
 今回のおまけは、一本にコップが一つ。
 コップは二つあればいい、と二本購入。
 しかし、どうせなら三色ほしくなり、翌朝行って、念のための予備も含
めて三本買った。
 五個のコップで私の収集欲はおさまってくれたようである。
 そんな心の動向を、毎回、コップを使うたびに思い出す。
 物は記憶を引き出す鍵なのかも。
 では、物じゃない場合は。
 年末に黒豆を炊いたら、目を離した隙に吹きこぼれ、でも、今のガスコ
ンロは自発的に火を消してくれて、使う人をちゃんと守ってくれるんだな
あ。
 けど、掃除をし終わったガス台は、もう汚れた。
 年末の作業は順番が肝腎だと心に刻んだ。
 そして、すぐに忘れた。
 思い出したのは、今日、ガス台に水をこぼしたからだ。
 似たような場面も、記憶を呼び覚してくれるみたい。
 でも、筆頭は物だろう。
 だから、忘れたら困ることは、目に付く所に置く。