「ない」はずが「ある」

 新聞やテレビで知った書籍は、まずは本屋で実物を見たい。
  でも、ちゃんと題名を覚えていかないものだから、
幻冬舎の〇─〇というような名前の雑誌なんですが」
 と判じ物のようなことを言うことになる。
 〇─〇は、〇にカタカナが入る。
 まったく思い出せないのではなく、こういう中途半端な記憶力なのが、我
ながら歯痒い。
 が、
ゲーテ、みたいな」
 ふと言葉が口をついて出てきたら、それが雑誌の名前だったので、我なが
らびっくり。
 このことからも、人が一度見たり聞いたりしたことは、すべて記憶の貯蔵
庫に保存されていることがわかるのであった。
 先日は「古武術」。
 これは、
「NHKの古武術の・・・」
 で伝わるはずなので、正しく覚える気はなかった。
 本屋でそう言ったら、
「あっ」
 良き反応。
 ところが、別の客のために取り寄せた、と言われる。当然、店頭にはない。
 まあ、放送終了後だからね。
 少し遠くの大きな本屋に行ったら、棚の高い所に表紙を見せる形で一冊陳
列されていたけれど、角のめくれ具合から何人もの客に触られたことが察せ
られるので、別の本屋へ。
「取り寄せましょうか」
 それだったら、家の近くの本屋の方が便利。
 数日後、取り寄せてもらうために舞い戻った。
 雑誌名を伝えると、
「あっ」
 お馴染みの反応のあと、店員がおもむろにレジを回って出てきて、棚に向
かう。
 そして、
「はい」
 と渡される。
 なぜ・・・。
 前はなかったのに、なぜ・・・。
 私はiMacのキーボードにカバーを付けているが、長年使っていると、左
の薬指が当たる辺りがぷくっと膨らんでくる。
 その膨らみが尋常ではなくなった時に行きつけの家電量販店に買いに行っ
たら、パソコンのOSだけでなくキーボードも微妙に進化するらしく、私の
キーボード用のカバーは店頭にない。
 取り寄せてもらった新品が再びぷくぷくし始めたので、入手不能になって
からでは遅い、と別の買い物で行った折りに取り寄せを頼んだら、すぐ裏か
ら出してきてくれ、
「・・・!」
 私がいずれもう一枚買いたがると踏み、リスクを承知で入荷しておいてく
れた模様。
 実際、
「もうありません」
 と言われたし、インターネットでは「販売終了」。
 これらのことを振り返ると、際どい所で私は、天から甘やかしてもらって
いる。
 じゃあ、なぜ、桜の盆栽は駄目だったのだろう。
 行きつけの花屋で売れ残っていた桜が一気に満開になり、五百五十円の大
安売りになった。
「買い物の帰りに買うわ」
 私はそう言ったのに。