明日は立秋。
暦の上では明日から秋。
悪い冗談、と思いかけたが、あっ。
少し前から空は高く、澄んだ青。
雲は、刷毛雲。
季節の足取りを、空はちゃんと反映している。
地表に生きる我が身が体感できていないだけ。
蝉も盛んに鳴いている。
七月に一番蝉の鳴き声が静謐をつんざき、
「あ、鳴いた」
と気づかされたら、その後、どんどん大合唱になっていっても、平気。
が、八月に入ると、イラッ。
暑さへの耐性が切れるせいだと思っていた。
けど、YouTubeで蝉の名前と鳴き声を学んだら、蝉の種類が変わるせいだ
と気がついた。
七月の蝉は一本調子の鳴き方ゆえ、うるさくても、そのうち意識から外れ
る。
だが、次に覇権を握る蝉は数秒ごとに強弱のある鳴き方なので、聴覚が刺
激され続ける。
その名はクマゼミ、たぶん。
なぜ「たぶん」か。
人は、林檎を一つ見せられて、「これが林檎」と教えられたら、形が多少
違っても、色が違っても、林檎と認識して、蜜柑だとは思わない。
素晴らしき人の認知能力。
ところが、蝉の鳴き声に関して、私は、動画で学んだ理解をもとに実際に
聞こえる鳴き声の主を特定しようとすると、不安になる。
この分野の認知能力が劣っているのかも。
あるいは、もっと数多く聞けばいいだけの話か。
なんにせよ、八月に蝉の鳴き声にうんざりさせられる真の理由が突き止め
られて、すっきりした。
もっと早く気づきたかったけど。
近くのスーパーマーケットに行く時、私はいつもパンツ。スカートは穿か
ない。
ただ、夏は、内股に布があると暑苦しい。
スカートにすればいいじゃん。
そう気づいて、スカートを買った。
これも、ようやく今年のことである。
私は、長年、わざとこんな簡単な解決法に気づかぬようにしてきたのだろ
うか。
そんなわけはない。
スカート姿の人々は、ちゃんと私の視界に入っている。
でも、人は人、真似をしたいと思わなかった。
私の中に、パンツ以外はない、というなんらかの思い込みがあったのか。
それを手放せたのは、
「こんな暑さはもう嫌!」
と心底思ったから。
つまり、こういう方法もある、とわかっている程度の気づきでは変われな
いってこと。
そして、変わったあとに、振り返って、もっと早く変われていたら、と悔
やみたくなっても、ならば、過去のどこかの時点で、本当は変われるのに変
わらない選択をしたのかと自問するならば、変われないから変わらなかった
と言うしかないことに気づくだろう。
よって、それだけの時間は必然だったのだ。