英国エリザベス女王の国葬

 題名だけ知っている映画は多い。
 たとえば、フランスの『大人は判ってくれない』。
 積極的に観る機会を作ろうとは思わないが、テレビで放映されると、観る。
 監督のフランソワ・トリュフォーは、今月、ジャン=リュック・ゴダール
が死ぬと、対比で取り上げられた。表現手法は違えど映画に新風を巻き込ん
だ二人だったらしい。
 ゴダールの代表作は『勝手にしやがれ』。
 これもテレビで観た。
 どちらもモノクロ映画で、一九五九年の作品。
 私には、斬新かどうか、よくわからなかった。
 私は感性が鈍いのか。時代が進み、もう新鮮ではなくなったのか。
 ただ、『大人は判ってくれない』で、授業をサボる男の子に母が、
「フランス語だけは勉強しなさい」
 と言ったのには感動させられた。
「英語だけは勉強しなさい」
 ではないのだ。
 たぶん、現代でも。
 男の子は、作文の授業で、そらで覚えているバルザックの文章を書いた。
 十二歳の少年でその設定が成り立つのかと、これにも驚愕。
 そういう社会ということだから。
 言葉は文化。
 そこから伝統が生まれる。
 十九日に、エリザベス女王国葬を見た。
 英国最大級の伝統である。
 日本のテレビは、本国のアナウンサーの発言が途絶え、日本語の通訳も終
わると、無言が悪であるかのごとくコメンテーター達が説明を始めて、うる
さい。
 私は荘厳な儀式を目撃させてほしいだけ。
 どうしたものかとパソコンの前に戻ったら、ライブ中継を放映中というヤ
フー・ニュース。
 ならば、配信元のBBCのホームページでも見られるのではないか。
 見られた。
 その方が画面が大きいし、パソコンの全画面表示にしても画像がくっきり。
 私はスクリーンショットを取りまくり、本国の放映が終わるまでに三百枚
以上取った。
 画面上にBBCという文字すらないので、私がカメラで撮ったと言っても
通じそう。
 わざとそうしてくれたのかなあ。
 粋な計らい。
 今、BBCのホームページで十時間弱の動画が見られるが、あの日、眠気
を我慢して終了まで見てよかった。
 座って画面越しに見ているだけの私が時間が長い、長すぎると思う葬列を
歩く王族。
 どこで練習を重ねたのかと舌を巻く近衛兵や海兵隊の美的な行進。
 その数の多さに圧倒されると、どれだけの経費がかかっているのかと経済
に疎い私が気になってくる。
 一方、棺の前を歩く少し背中の曲がった人には、年齢的に大変ですよね、
とねぎらいの言葉をかけたくなる。
 同じ時に共存するからこその、心の浮遊。
 楽しかった。