一寸先は闇

 きのう、テレビをつけたら、どの局も番組を変更して、安倍元首相が奈良
近鉄大和西大寺駅前で街頭演説中に銃撃された、と報道している。
 もっと詳しく、と思う心理に応えるように、ほどなく、誰かがスマホで撮
っていた動画が流されて、現代である。
 ほかの局では、別の角度からの別の動画。
 犯人が捕まった場面は、解像度の高いカメラで撮ったプロの連続写真。
 が、その後は、本当に知りたい最新情報は出ない。でも、喋り続けるアナ
ウンサー。
 情報が、質から量に切り替わった。
 目新しさのない放送に意味はあるのか、と思いそうになったが、初めてテ
レビをつけた人には、初めて見る映像、聞く情報。
 私が、もはや繰り返しにすぎない、と思ったのなら、その時点で、そっと
テレビを消せばいいのだった。
 会見に繰り返しはない。
 ところが、ドクターヘリで担ぎ込まれた奈良県立医科大学附属病院の会見
で、取材陣の口から出るのは、同じところを行ったり来たりする質問。
 先にされた質問を再確認あるいはそれに補足できる情報を求めようとした
ら、そうなるのかもしれないし、回答された内容よりさらに一歩踏み込んだ
答えがほしいと思ったら、そうなるのかもしれない。
 でも、まどろっこしい。
 いっそ、会見の冒頭に、あとから質問されないぐらい詳細な説明をしてし
まえばいいのに、と思うが、聞かれなければ答えたくないことがあり、聞か
れたらぼかすつもりのことがあるとしたら、そうはいかないか。
 夜の奈良県警察本部の会見は、もう、餅は餅屋で、誰かが要領良くまとめ
てくれるのを読むのでいい、と見なかった。
 果たして、一夜明けた今日の報道は、テレビも新聞もすっきり明快。
 こんなふうにまとめられたのでは抜けが出る、と私が考えるようになった
のは四年前、日大のアメフト反則タックル事件で、大学の監督とコーチの会
見を見た時だった。
 我が目で全部見たら、印象が変わる。
 だが、全部見ても、落ちこぼれるものはある。
 それは当事者でないとわからない。
 それでも、事実に迫った情報がほしいなら、複数の新聞を読むとかすれば
いい。今は会見を全部動画が見られることも多い。
 人のことより、自分の人生。
 全編通しで理解すべきは、それだけなのだ。
 少し前、私は、
「一寸先は闇」
 が座右の銘だと述べて、離婚した同僚を笑わせたが、悲観ではない。
 一寸先すらわからない。でも、少なくとも「今」は私の支配下にある。
 だから、今、輝く。
 そんな、自分自身への決意と声かけなのだ。