ダイエットの敵

 何事も、ある地点を越えると、「もうこの流れで仕方ないんじゃない
か」と心が萎えてしまうポイントがあるのではないか。
 私の場合は、体重だ。
 ここ数年の高値安定も気にくわないが、春から夏にかけて高値を突破。
「ああ、どうしよう」と青ざめるも、さして悲壮感がないのは、「抵抗
しても、無駄」という諦めに心が浸食され始めたせいかも。
 そのまま流されなかったのは、友達のお父さんのおかげだ。
 八月に、二年ぶりに会って早々、
「そのおなか、なんとかした方がいいんちがう」
 と言われた。
 彼自身は三ヶ月で十四キロ痩せたと話が続いたので、ダイエットの成
功を自慢するのに、まず私の太さを槍玉にあげたんだとわかり、な〜ん
だ、と思うも、彼が私を評した言葉は客観的に間違っていない。よって、
私に怒りはない。
 と、彼が言った。
「菊さんは勉強は良くできるのに、なんで勉強より簡単なダイエットは
できないのかなあ」
 その言葉で、私は瞬時に目が覚めた。あっ、本当だわ。
 学生時代、私が勉強が良くできたかどうかはよくわからない。
 ただ、やればできる、という思いは常にあった。
 なかなか理解できなかったり、理解が定着しないことでも、そのうち
正しい思考の道筋が身につくはず。そうなれるまで時間をかければいい
し、私が私をコーチするように、あれこれ工夫すればいい。
 目の前に試験などがある場合は、とりあえずはそれが目標になるが、
コレと思ったものは、そういう目先の事をゴールにしない。
 私自身が納得できるまで、歩みを止めない、諦めない。
 しかし、ダイエットはそうなっていないと、友達のお父さんが気づか
せてくれた。
 ダイエットは別なのか。
 そう自問すると、「そうだ」と認めるのを嫌がる自分自身の声がする。
 そのタイミングで、『死なないぞダイエット』という本に出会った。
 朝と晩の二回、体重を計り、折れ線グラフにして眺めていると、脳が、
どうして体重が減らないのだろう、と考え始め、過剰な食欲を抑えてみ
たくなり、グラフの目盛りが下がったのを見ると、わくわくして、脳は
その快感を求めて、ますます痩せる。
 そんな馬鹿な、と思いつつ、やってみたら、すとんと1kg落ちた。
 三ヶ月間ラクにそれを維持し、さらなる下落を目指していたのに、今
朝、三ヶ月前の体重まで跳ね上がってしまった。
 先週から徐々に増えてきていたので、一時的な現象ではない。
 本来の私に戻った?
 絶対そう思いたくない。
 でも、そんな気もしてしまう。
 分岐点の今。