覚悟(フランス旅行記)

 私の友人知人であって、マダムDには初対面。なのに、会話が始まる
と、マダムDが蕩々(とうとう)と自分のことを話し出す。
 みんな、興味がないから、聞き役になる。
 やがて、彼女のブルジョワジー出身のパワーが言葉の端々に現わてき
て、ますますよろしくない雰囲気。
 このままでは、こういうマダムDを友達にしている私、と私の評価ま
で下がりそう。
 それに、相手が変われど同じ光景、ということに、さすがに私の危機
意識も高まり、ついに私は、マダムDが話しているのに、その言葉に覆
い被せるように全然別のことを言って、彼女の話の腰を折り、彼女を黙
らせた。
 おかげで、会話の主導権が私と友人夫妻に舞い戻り、アポなしで突然
訪問した私の非常識も、そうして良かったと友人夫妻に思ってもらえる
結果になった。
 それにしても不思議なのは、私と二人きりの時、マダムDはこんな態
度に出ないことだ。
 二人きりの時は、私は、フランス語の勉強になるし、彼女の複雑な家
族の話は聞いてもすぐに忘れるから、何度同じことを聞かされても苦に
ならなくて、それでうまくいっていたのかも。
 二人きりなら平和。
 そこに第三者が混じると、違う一面が立ち現れる。
 昔、新聞で読んだコラムを思い出した。
 新婚カップルの海外ツアーで、東京のカップルは二人きりの世界に浸
りきるが、大阪のカップルは、ツアー参加者同士が仲良くなるよう、誰
の夫がリーダーシップを発揮するか、妻達が冷静な目で観察している、
というものだ。
 二人だけの時に良い人なのは、当たり前。
 ほかの人達が加わっても尊敬できてこそ、本当に素敵な人ってことな
んだな。
 マダムDに学んだ私は、たぶん、その時、彼女をそれまでと違う目で
見る私になったのだと思う。
 でも、私は、その場にふさわしいか否かの判断もなく、一方的に話し
まくるマダムDに辟易していても、そう指摘して、彼女の気分を害した
くなかったし、彼女のせいでほかの人達に退屈な思いをさせるのも嫌。
 それは八方美人というもの。
 私は覚悟したのだった。
 マダムDに嫌われて、この旅のあと、縁が切れても構わない。
 つまり、罪悪感とも手を切るということ。
 二軒目の滞在先、ムッシューLから、マダムDを夕食に招こうと言わ
れると、
「ノン」
 大人数を招くアペリティフに呼ぼうと言われると、身震いするように、
「ノン エ ノン(No and no)」。
 ああ。私がこんな強硬な否定語を遣う日が来るなんて。
 でも、気分は爽快。
 肚(はら)が決まると、そうなるのかも。