自己評価

 新婚の友から引っ越したとメールが来た。
 二月に、このマンションを買うことに決めました、とメールが来たの
で、しばらくして引越しの日は決まりましたかと返信したら、それへの
回答なきまま、いきなり引越し完了の知らせが届いたので、祝福の言葉
の前に、私がメールを送って一ヶ月以上経ち、ようやくメールが来たと
思ったら、もう引越ししたですって、というようなことを書き、むくれ
た顔文字を添えておいた。ちょっと厭味に二種類。
 と言うのは、私は生まれ育ったこの町がいいんだけど、とか、一戸建
てかマンションか、など、書くと思考が整理できるのか、彼女はまめに
書いてきてくれていたのだ。
 件(くだん)の私のメールを探し当て、読んでいなかった、と彼女。
 その時期の前後に私から彼女の家族に送ったメールの添付書類が彼女
に回ってきて、そっちに気を取られ、私からの直接のメールは見落とし
たらしい。
 彼女はフルタイムで働いていて忙しいし、私のメールは読み流しても
いいような内容だったしなあ、と半ば納得しているところはあった。
 それでも確かめてよかった、と今は思う。
 彼女らしからぬ無視は「なぜだったんだろう」といぶかる思いが心の
底にくすぶっていたから。
 しかし、故意の無視ではなかったとわかり、私は書いた。
 だったら、神様が見落とすように仕向けたのね。
 引越しに全力を傾け、すべてが終わってから報告すればいい、という
采配だったのよ。
 これによく似たことは、去年の十二月にも書いた。
 彼女達はセミオーダーの注文住宅を買う寸前まで行っていた。
 ところが、その宅地造成地の前のマンションに住む知り合いから、田
んぼを埋め立てて造成された土地だと知らされた。
 そういうメールを彼女から受け取り、私は、このタイミングでそれが
わかってよかったね、神様のおかげだね、と書いたのだ。
 土地の来歴を知り、それでも買う、じゃあ、やめる。
 どちらを選んでも正解になるけれど、このタイミングで知れたのはあ
りがたい僥倖だったのではないか。そして、私見になるけれど、これ以
上の物にはもう出合えないと思ったら、そうなるだけだと思う、と。
 私が言う神様とは、人智の及ばぬ計らい、というほどの意味である。
 そして今回、私は、またまたその行動力に感心させられました、と書
いた。
 彼女の行動力は、本当に羨ましいのである。
 すると、自分は決断の場面でいつも迷う、なんでこんなに自信がない
のだろう、と返事が来た。
 びっくり「ぽん」だ。