スーパーの野菜

 まだ肌寒いが、桜が開花し始めた。
 春。
 花に負けじと、いよいよ野菜も絢爛(けんらん)たる状況になる、と
期待していたのだが、春ってこんなにも良い野菜が出回らない時期だっ
たかなあ。
 いつも行くスーパーマーケットの運営会社が変わったから、そう感じ
るだけなのか。
 この店の身売りは二度目だ。
 期待はしていなかった。
 品質を格段に良くして、その分、値段もしっかり高くする、という路
線に変わることはないとわかっていたから。
 しかし、まさか質が落ちるとは。
 野菜、肉、魚。
 日数が経つと確実に腐るモノ。
 正しい食べ物。
 そう考えるようになったのは、加工食品などは、買う前に裏の品質表
示を読むが、添加物が多いほど値段が安いという経済論理を目の当たり
にして、体のためには高くても良いモノ、それが買えないなら、それを
食べたいと思わなければいい、と考えるようになったら、我が脳は、人
工的な味つけでも舌が美味しいと騙されるのならいいじゃん、ではなく、
食欲を閉じてくれるようになった。
 結果、調味料は最小限。それらを掛けあわせて、ほしい味を作る。
「ナニナニの素」で手軽に洋風、中華風レシピができあがり、なんてい
う商品は私の視界を素通りするから、私が作る料理は勢い、そこまでの
広がりはなくなる。移り気、飽き性な人からは粗食だと哀れまれるかも。
 しかし、だからこそ、新鮮な食材が必要になる。
 野菜、肉、魚だ。
 中でも野菜は、新鮮な赤色に見えるよう発色剤が加えられる牛肉など
とは違い、皮を剥くぐらいで店頭に並ぶと信じてもいいのではないか。
 その野菜の質が明らかに落ちた。
 対面の牛肉売り場は閉鎖され、あとは焼くだけ状態の牛肉入り半加工
食品が並ぶようになったし、魚売り場でアメリカ産の鰈(カレイ)を見
た時は、悪い冗談かと思った。
 魚をその場でさばいてトレイ売りする型式を残してくれたからよかっ
たけれど、そうでなかったら、本当にもう、このスーパーマーケットは
見限るしかない。
 生鮮食品は、店ごとにわずかな値段の差はあっても品質に大差なし、
と思っていたのは、そうではないのかも、と気づかされてしまった。そ
の衝撃は大きい。
 幸い、近郊の農家の人が野菜や果物を売りに来てくれる朝市が、案外、
いや、かなり恵まれた環境だと気づかされたこの冬。
 今後は、野菜の生命線はこの朝市だな。
 改めてそう思っていたのに、朝市の日に、見慣れた農家の人達が売り
に来ていない。
 やっぱり今は野菜の端境(はざかい)期なのかなあ。