居酒屋でなくても、大半の店が「喫煙可」。
これなら普通の文章だろう。
ところが、前回、「禁煙可」と書いてしまった。
ブログは訂正したのち、このあり得ない書き間違いのおかげで閃いた。
「喫煙可」とは「喫煙者大歓迎」の意味。
ならば、店は「禁煙可」と表示を掲げてくれた方が現実に即している
のではないか。
先日再会した大学時代の恩師は、パイプ煙草をくゆらす人だった。
ただ、昼間の蕎麦屋はその時間帯は禁煙で、同級生二人を含めた男達
三人は、各地の地酒を聞き酒のごとくに楽しむ。
閉店時間が来て、近くにコーヒー専門店があったので、ドアを開ける。
ゆったりくねったカウンター、天井には、のんびり風を掻き回す大き
な扇風機。おしゃれな店だ。しかし、案の定、カウンターのここから向
こうが喫煙席、と言うだけの、煙の性質を無視して、誰に配慮したのか
不明の分煙対策。
「煙がひどかったら、帰ります」
そう宣言して、私は中に入った。
初めは私達だけだったが、二時間も腰を据えていれば、さすがにちら
ほら客が入り、中には煙草を吸う者も現われよう。私は、喉が煙草のけ
むりに襲われ収縮する苦痛に何度か耐えた。
が、帰りはしなかった。
一方、教授は、臭いに刺激されて禁断症状が起きる風もない。
パイプ煙草の人は煙草中毒にはならないのかなあ。
あと葉巻も。フランス人の女友達は葉巻派だが、彼女が吸うところも
見たことはないのだ。
煙草の話になり、私はパリにいた時の話をした。
二人席が狭い間隔で並んだレストランで、夕食を終え、歓談中の私達
に、隣席の男性二人客の、私と対角線上に位置する席に座っていた男性
が言った。
「煙草を吸ってもいいですか」
わざわざ聞いてくれたのだから、私は誠実に答える。
「煙が私の方に流れてこなければ、いいです」
相手は、取り出しかけた煙草を元に戻した。
教授は、我が意を得たりという顔で、禁煙対策にお金をかけても無意
味で、教育こそが大事なのだと述べる。
私は、先日の京都のレストランのことを思った。
私達以外、客は二組。それも途中から私達のみになり、不思議な接客
に頭を悩まされ、私が一見(いちげん)さんで行く店はどこもはずれる
なあと落ち込んでいたけれど、人気店は客が多く、煙草のけむりで味覚
を錯乱されるは健康を害されるは、という災難に遭う度合いは格段に高
まる。
なーんだ。
私は、理想的な店を探し当てるのに天才的な冴えを発揮し、なのに、
我が最優先条件を失念して、自己嫌悪に陥っていただけなのか。