私にできること

六月十九日、前日の大阪の地震を知ったとフランスの友人達からメー
ルが来た。
 友人の一人がインターネットの新聞記事で読んだと書いてきたので、
ああ、やっぱり。
 私はインターネットでフランスのテレビニュースを見たが、どの局で
地震の報道がなかった。
 この友とスカイプで話した時、閃いて私は言った。
「フクシマみたいな地震でないと、テレビで報道しないのかも」
 しかし、定員オーバーのゴムボートでリビア沖まで来たアフリカ難民
をイタリア政府が拒否したニュースは、フランスでは大々的に取り上げ
られても、日本は無視。
 事の軽重は、皆に一様とはならないのである。
 この地震の時、私は路上にいて、思わずしゃがみ込んだ。
 が、揺れはすぐ治まり、駅まで来ると駅構内は真っ暗。人々が改札口
を取り巻いている。それを横目に歩き続ける私は、家に戻った方がいい
かどうかで頭を悩ませている。携帯電話はインターネットに繋がない契
約にしてあるので、地震の詳細がわからないのだ。
 そのまま歩き続けて、大学病院に行った。
 病院の機能は半減し、私の担当医はいつ来るかわからない。
 が、待合室のテレビでNHKが見られるので、食い入るように見る。
 待合室の壁際のソファーには、座らないようにという張り紙がベタベ
タ。壁の隅からコンクリートが剥がれ落ちている。が、そこから遠いソ
ファーには、人々が当たり前に座っている。
 私の番号が表示された。
 代理の医師の診察になるんだろうな、と思いつつ扉を開けたら、涼し
げな顔で私の担当医。
 普段でも予約時刻よりかなり遅れるのに、この日は待ち時間が圧倒的
に短くて済んだし、支払いもあっという間。
 地震のおかげ、と言うしかない快適さ。
 家はガスは止まっていた。
 そう書いて送ったら、友の一人が復旧の仕方を書いてきてくれ、やっ
てみたら三分で復旧。
 皿類は一枚も割れていない。
 そして今朝。
 ゴミを捨てに降りたが、片足が不自由で杖をつきながらゴミ出しに来
る高齢男性と遭遇できない。
 初めて会った時、ゴミ置き場まで数メートルだったが、私は彼のゴミ
を引き受けると申し出、彼は恐縮したが、決行した。
 二度目も彼は「こっちのゴミは自分が」と言うが、全部私が引き受け
た。
 三度目は素直に礼を言うと、私が戻ってくるのを見届けずに道を引き
返した。
 私は嬉しかった。
 私に出来ること。
 今度会えたら、その時刻を覚えよう。
 彼と遭遇しやすくなるはずだから。