愛って何

「それ、どういう意味」
 と聞かれないなら、その単語を相手も理解している。
 もう解明されていることだが、たとえば「犬」という単語を万人が共通
認識しているのは、驚異的なことだ。
 スピッツ、チワワ、柴犬あたりを見せて「犬」と教えられたら、次にト
イプードルを見ても犬だとわかる。
 食用のキノコと間違えて毒キノコを採って食べて死んだ人は、少なくと
もキノコという種類は正しく理解できていた。
 言葉で定義するよりも、いくつか例を見せる方が手っ取り早い。
 一方、抽象的なものは言葉での説明が不可欠。見えないから、そうする
しかないのだが。
「愛」は抽象。
 ところで、その定義にはないのに、私達が勝手に付け加えて当然だと思
っていることはないだろうか。
「結婚記念日を忘れるだなんて、もう私のことを愛していないのね」
 なんて、ドラマの主人公じゃあるまいし、実際に言う人はいないかもし
れないが、この原因と結果の決めつけをナンセンスと一蹴できる人は少な
かろう。
「愛しているのなら、態度で示して」
「これぐらいはしてくれてもいいんじゃないの」
 愛という言葉を使っていなくても、同じこと。
 愛はあるかないかの二つに一つで、白か黒かのはずが、それでは大雑把
すぎると言うなら、白と黒のあいだに灰色を中間色として入れればいい。
なのに、白の中にまっ黒に到達するまでの細かいグラデーションがある、
と信じている。
 そして、自分がもらっている愛がどこに位置しているかがすごく気にな
る。
 だから、自分が与える側に立つと、どれだけ与えられているかが気にな
る。たっぷりもらえていないと感じた時の心のざわつきを覚えているから、
相手に同じ悲しみを与えたくないと思うのだ。
 それは優しさ。
 けれども、愛の百点を計測する物差しはないから、合格点のレベルを自
分でずんずん上げて疲れたり、自分はよくやっていると思うと、その相手
ではない別の人が自分にちゃんと愛をくれないと感じて、苛立ったり。
 このからくりがわかれば、その罠から抜け出し、賢い人になれるのだろ
うか。
 デイサービスに通っている女性が、新聞への投稿で、自分と同年配だが
手がかかる人にスタッフがつきっきりで、いいなあと思った、と書いてい
た。甘えだと自己分析もしている。ところが、子供から元気かと電話があ
ると、「元気」と強がりを答えてしまうと。
「今度は寂しいって言ってみようかなあ」
 愛は一生制御不能かも。