「嫌と言うほど」チョコ

 四月、五月はチョコレートを嫌と言うほど買った。
「嫌と言うほど」って面白い言い回しだなあ。
 自分で書いてから、感心している私。
 この手の言い回しは意識して引っ張り出してこれるものではない。その
前の文脈を受けて、するっと出てくる。
 特殊な言葉だから。
 いや、そんなはずはあるまい。
 そう思うと、確かに、喋る時、その何十分の一秒か前に事前に喋る言葉
を準備して、あとはそれを口に出すだけ、という仕組みにはなっていない
と気づく。
 喋りたい概念が雲のように浮かんだら、それが言葉になる、という感覚
が正しいのではないか。
 が、普段使っていない言葉だと、懐かしさに心が痺れる。
 そんな言葉を私が知っていたとは、と感激させられる。
 文章。それも今より少し前の時代に書かれた文中に久しぶりに目にする
言葉を見つけると、やっぱり懐かしくなる。
橋のない川』は、いつか読みたいと思っていた。
 布川事件で二十歳の時に強盗殺人の冤罪でつかまり、二十九年間服役し
た桜井昌司が、その著者の中で、『橋のない川』のおかげで完全に本の魅
力に目覚めさせられ、文字から広がる世界の力で自分が変化させられた、
と書いているのを読み、図書館で借りてきた。
 けれども、数十ページ読むと、全部読み通すのはたっぷり時間ができる
時まで先延ばしすることにした。
 とは言え、徒手空拳で撤退する私ではない。
「のきば」
 という言葉と出くわし、意味がわかっていないことを発見。
「笹の葉さらさら~、軒端に揺れる~お星ァきらきら~、金銀すなご」
 幼稚園の頃習い、今も当たり前に歌えるのに、軒端って何。
 本を読み通す時間はないが、調べる時間はあった。
 おっと、チョコレートの話であった。
 フジヤのアーモンド入りチョコ。
 藤井聡太のオリジナルグッズが当たるキャンペーン中、というのに惹か
れて、買った。
 数個だけ買おう。
 と言うのも、私はカカオ含有率の高いチョコレートが好きなのだ。
 ただ、このチョコレートは中にアーモンドが入っているので、このぐら
いのカカオの質でいいか、と思え、キャンペーンでなくても買いたいチョ
コになり、スーパーの売り場で私が買うと、そのチョコの一列を空にし、
売り切れさせる、という事態を何度か引き起こした。
 六月に入り、買うのをやめたのは、体重増加を本気で気にすることにし
たからだ。
 溜まったレシートを応募しよう。
 ところが、ウェブ応募に苦戦。
 なぜ。