備前焼の一輪挿し

 ずっと、一輪挿しの花瓶がほしかった。
 たった一輪。その、そそとした風情を楽しみたいと思ったら、一輪挿し用
の花器でなくてはならない。
 ところが、売っていない。
 なんでも扱っているから「百貨店」のはずでも、扱っていない。
 新聞の折り込みチラシで、口の小さい花器を見て、期待して行ったら、十
センチほどの小さいガラス製だった。野の花を摘んできて挿す趣向らしい。
 背が高いのが出た時は、ドライフラワー用で、水を入れても大丈夫だと言
われたけれど、今日みたいな軽い地震でも倒れそうで、買えなかった。
 こうなったら、Amazonか。
 いろいろ、ある。
 安い。
 でも、ピンとこない。
 そんな折、折り込みチラシに苔玉の写真が載り、行ったら、チラシに載っ
ていなかったが、備前焼のコーナーがある。
 かつて心惹かれたことを思い出した。
 釉薬を使わず、素材の土のどっしりした見た目と質感が、好き。
 一輪挿しの花器が出ていた。
 二点持ってきたうちの、残りの一点だと言われる。
 二つの中から選びたかったなあ。
 そう思うのは、比較できたら、目の前のそれを選ばない、という確信があ
るからか。
 単に「選んで決めた」と思いたいのか。
 でも、それを買おうかな、と心が動いたということは、それが私の所に来
ることになっていた、と考えることもできるのではないか。
 その備前焼の一輪挿しは、底が正方形で、
「面取一輪と言います」
 底も丸い普通の形しか知らない私であるが、拒否感はない。
 なので、それを買うけれど、先に苔玉を見に行きたい。そのために今日は
来たのだ。
「戻ってくるまでに売れていたら、そういうことだったのだと諦めます」
 すると、取り置いてくれるというので、急ぎ、上の階に行くと、藤の苔玉
があったが、これも一点のみ。
 そんなわけで、藤の苔玉も、備前焼の一輪挿しも、残りの一つを、私は買
った。
 いや、それぞれ、「一点物」を手に入れた。
 そして今。
 備前焼の焼きの表情に、正方形の底の辺から立ち上がる隣り合った平面が
織りなす陰影が加わり、眺めるたびに、良い買い物ができた、と私の心は喜
んでいる。
 それにしても、インターネットで探した時、なぜ、この窯元のホームペー
ジに辿り着けなかったのだろう。
備前焼」と入力するという発想がなかったからだ。
 情報は、ある。
 でも、辿り着くには、言葉のセンスが必要。
 そういうことか。
 ただ、センスがないなら、そのうち、向こうからやって来てくれる。
 そういうこともあるから、人生は愉快だ。