フランス人と奈良に行った。
彼女は自然の中を歩くのが好きらしいので、東大寺と春日大社を訪れたあ
と、春日山原生林を歩くつもり。
薄雲がかかっているが、暑い。
何か情報が得られるかもと立ち寄った観光案内で、若草山に登るのですら
熱中症が心配だと言われる。
観光案内を出てすぐ、彼女が言った。
「ただで入れる日本の古い家が二軒ある」
でも、
「書いたメモを持ってくるのを忘れた」
それでは私にはわからない。
「さっき、観光案内で聞けばよかった」
本当にそう。
が、
「でも、あなたは奈良のことをよく知っているって言ってたでしょ」
彼女は私の友達ではない。友達の友達でもない。
私のフランスの友が私のことを話すのを聞いた相手が、この彼女に、私を
紹介してもらったらと進言したことで繋がっただけの関係である。彼女は、
出国前に私から日本人としての意見を二、三聞けたら十分だったのだろう。
だが、意外に役に立つと思われたのか、当初の予定以上の日数、彼女に付
き合うことになった。その日なら付き合えるという日を望まれたら、天がわ
ざわざその日を選んだのだと理解する私なのだ。
ただ、資料作りは増える。
日本語が喋れない彼女のために、列車の構内図に、あなたの列車はここに
着くので、そこからこのホームのこの場所まで移動して私を待っていて、と
待ち合わせ場所を詳細に記したpdf書類を作るからだ。彼女が乗るといい
列車の出発時刻も数例載せる。
面倒臭い。時間がかかる。
でも、万一会えなかった時にあたふたさせられるのは私だと思えば、事前
準備に時間を取られる方がまし。自己防衛だ。
温泉、と言われれば、日帰りのスケジュールを作って送り、それでも行き
たいかを彼女に考えてもらう。
こういう私の過剰な奉仕精神が、彼女を甘やかすことになったのかも。
彼女は、奈良を何度も訪れている私が古民家の存在を知らないのが悪い、
という態度に出た。
日本人は本当はそう思っていなくても相手に同調するのかと聞かれたこと
を思い出した。
私達は穏便な方法で意を通そうとするだけだと説明したが、自身のミスを
棚上げして私を責めた彼女に私が意見しなかったので、彼女は自分の正しさ
が通ったと思っただろうか。
「私達はそこに行かねば」
彼女が言った。
ものは言いよう、言葉一つ、なんだけどなあ。
「私は行かなくていいから」
心の中で私は思った。
もちろん、日本人同士でもトラブルは起きる。