自然な出会いが不自由な国

 日本では自然な出会いのチャンスが少ない、と書いたアメリカ人のエ
ッセイに私の心が反応したのは、ちょうど、私は結構見知らぬ人に話し
かけられる気がするけど、なんでかなあ、と自問するタイミングに当た
ったせいだ。
 だが、それってごく普通のことでしょ、とエッセイは気づかせてくれ
た。深く考え込む方が自意識過剰かもよ。
 確かに「自然な出会い」はあるな、と私は思い出した。
 たとえば、フランスのスキー場で、バスが出る間際まで抱き合ってい
アメリカ人カップルの男性だけがバスに乗り、ふもとの町に近づくと、
私と通路を隔てた席に座った彼から、自分が降りたい停留所はまだだろ
うかと聞かれ、私も下車する場所だったので、一緒に降り、列車の切符
を買うのも手伝ってあげたら、私の列車の時刻までカフェに誘われ、後
日、アメリカからTシャツが送られてきたし、何度か手紙をやりとりし
たことがあった。
 パリで星を見上げて歩いていたら、声をかけられ、それはある敷地内
でのことだったので、安全だと判断して、敷地を出てすぐのカフェに誘
われたのに応じ、別の日、観劇に誘われたのにも一緒に行き、ほどなく
私は引っ越ししたが、新しい住所を知らせず、それきりになった。
 そして日本では・・・と続けたいところだが、日本で、その手のエピ
ソードはない。私は外国でだけ脇が甘いのだろうか。
 いや、エッセイストも書いているとおり、列車が遅れて、隣の人と
「困りましたねえ」と会話が始まるようなことは、日本では滅多に起こ
らない。
 ために、そういうのは歓迎されないのだと学習して、日本人自身が自
戒する。たまたま隣に居合わせた人と言葉を交わしたら、意気投合して、
友達や恋人、結婚相手になりました、と展開するような出会いは、不毛
の地に蒔く種のように芽生えづらい環境、ということだ。
 しかも、唯一、市民権を得ているのがナンパというのが困りもの。
 ナンパでなく、単にちょっと話しかけたいだけだったとしても、その
行為はナンパと同一視され、警戒されることにもなりかねない。
 私自身、話しかけられるのは大半が年配の女性で、間違ってもナンパ
の不安はなくても、話しかけられたことにびっくりして、最小限度の返
答で会話を終了させようとしてしまう。
 アメリカ人エッセイストの女友達が皆、日本の男性と知り合うチャン
スがないと嘆くそうだが、断言します。その理由は、あなた達が日本に
いる外国人だからではないのです。