善意のリレー

 郵便受けの近くにゆうパックの小さな包みがぽんと置かれているのを見た
時、私は、自分宛でないのがポストに入っているのを取り出した人がそこに
置いたのだと思った。
 そういう時は、黙って正しい人のポストに入れてあげればいいだけなのに。
 ところが、宛先を見たら、印刷された住所の番地はどこにあるのやら。
 そうか、それでここに置くしかなかったのか。
 私は家に戻り、インターネットで検索して郵便局の〇一二〇に電話。
 配達の時間指定があと一時間後で切れることも伝えたら、私の任務は終了。
 いの一番で対処してくれるだろうと思っていたら、出かける用意をして外
に出ても、まだある。
 私はその荷物を持って出かけた。
 外出の目的は、郵便局で切手を買い、封筒に貼って投函することだったの
で、ついでだったのだ。
 用件を済ませてから局長をお願いするも、電話中。
 しばらく待つが、終わりそうにないということで、ほかの人が対応してく
れることになり、私はコールセンターに話したのと同じことを告げる。既視
感である。
 そして、
「もしかしたら、今頃、荷物を探しに来て、ない、と焦られているかもしれ
ませんが」
 と言うと、
「たぶん、それはないでしょう」
 コールセンターは遠方にあり、私の説明を聞いてもこの地の状況が飲み込
めなかったりするからと言われると、大難を小難にできるチャンスを掴めな
いような体制なのかと、いつか、こういう不手際の対象になるやも知れぬ潜
在顧客の私は微妙な気分になる。
 幸い、私が現物を持って来たので、
「ただちに集配郵便局に連絡して、対処させます」
 そして私の質問に対しては、配達員がほかの家への不在票を書くあいだに、
それを置き、そのまま忘れたのではないか、と自分なりの推察を聞かせてく
れた。
 しかし、帰宅後、集配郵便局の責任者から電話があり、まずは無事先方に
時間内に届けられたと礼を言われたあと、今回のことは、車から荷物を取り
出す際、するりと落ちたが配達員が気づかなかったのだろう、と言われた。
それを誰かが拾い、私が見つけた場所に置いたのだろう、と。
 そうか、私は誰かの善意のあとを引き継いだのか。
 ブラウスを買いに行き、白が良さそうだが取り寄せになると言われ、とり
あえず別の色を試着していたら、
「お客様。今、白が入荷しました」
 おかげで白を買えた今日。
 こういうことがあると、この世は偶然であり因果はない、と思っていても、
因果もたまにはある、と思いたくなるのだった。