進歩の宿命

 家のテレビが一台故障した。電源スイッチのボタンがきかなくなって
しまったのだ。でも、リモコン操作はできるので、見ない時はコンセン
トを引っこ抜くことにして、使い続けることになった。母は「どうせ、
そのうち買い換えなきゃいけなくなるんだし」と言ったが、私は、じゃ
あ、五年先でいいのね、と心ひそかににっこりした。
 というのも、前に、店でデジタル波対応の薄型大画面テレビを見てい
て、画面の中央からはずれた部分に目を向けると、撮影カメラの焦点が
そこに合っていないから、当たり前のことだが、ぼけたまま。人の目の
ようにはいかない。なのに、ピンぼけ部分を見続けて、酔ったような気
分になった。そして、大画面も、くっきりはっきりの画質も善し悪しだ
なあ、と思ったのである。
 ロシア製のカメラが秘かに人気、という話を聞いたのはいつだっただ
ろう。シャッターがおりても本当に写ったかどうかわからない。写って
も、ファインダーから覗いたとおりに写るとは限らない。そこにわくわ
くするという人達の気持ちがわかる気がする。人間の五感が感知できる
以上に高性能、しかも誤差やイレギュラーがないのが当たり前。そんな
物ばかりに取り囲まれていると、ふと、気力を吸い取られたような感じ
に襲われることもある。
 もっとも、DNA鑑定の進歩のおかげで犯罪者を科学的に追い詰めら
れるようになったことなどに目を向けると、一も二もなく「技術はもっ
と進歩せよ」となるのだが。
 あ、でも、少子化問題で、いわゆる識者と言われる人達がいろいろ言
っている中で、実は去年の出生者数より中絶件数が上回ったデータもあ
るらしいという話が出て、里子や養子制度をもっと充実させ、そういう
子達を救えばいい、という流れになった時、私は、じゃあ、あなた達は
そうする、と聞きたくなった。もし、あなた達が不妊の夫婦だったら。
 育てるなら、やっぱり自分達のDNAを受け継ぐ子、と考えるのが今
の大多数の日本人の感覚ではないか。そこを見ずに欧米社会の論理を持
ち込んでも、机上の空論なんじゃないの。
 だが、赤の他人とまではいかなくとも、親戚の子をもらって育てるぐ
らいは、日本でも、つい近年まで普通にあった。それまでなくなったの
は、どうしてだろう。DNA鑑定の技術進歩とは関係なさそうだし。 
 ああ、そうか。たぶん、本当はそうじゃないのに自分の子として戸籍
に載せるという、おおらかな抜け道がほとんど皆無になってしまったせ
いなんだ。